アメリカ人の指によるジェスチャー、いわゆるフィンガークオートは色々あるが、今回は日本人がやらずアメリカ人がやるものを二つ挙げてみる。
木やテーブル等を握りこぶしで軽く叩き、「Knock on Wood(ノックオンウッド)」と言う。アメリカでは木をたたくと悪霊が去り、いい事が起こるという迷信があり、その意味をこめてこのジェスチャーをし、Knock on Woodと口に出して言う。同様の意味で、ピースのサインをし、人差し指を中指の手の平側へ交差させ、中指の第一関節を少し折り、二本の指を固定するクロスフィンガーも時々用いられる。
特に子供や女性の間で使われることが多く、明日晴れますように、とか、やるべき事はやった、などの後にこのジェスチャーと言葉を用いられることがある。
この意味をおおざっばに言うと、日本で言うてるてる坊主を作って祈るような状態、または果報は寝て待て、あとは吉報を待つだけ、神頼みなど、自分ではこれ以上何もしようがなく、良い結果を望んでいる場合に用いられることがある。アメリカの天気予報の女性キャスターが、日曜日や祭日、大きなイベントがある日の予報を雨や雪と言った後に、「でも晴れるといいですね、Knock on Wood!」などと手のジェスチャーとともに言う場合がたまに見受けられる。どこか可愛らしくてほのぼのした印象がこのジェスチャーにはある。
Read More......
今回はソファーベッドについて書いてみる。日本でどれくらい普及しているか分からないが、日本の住宅事情を鑑みればこれからも普及していくかもしれないが、アメリカでは一般的によく見かける。
リビングルームでくつろぐためによくある2、3人掛けのソファーは、ベッドにもなる。外見を見れば立派なソファーでも、座るクッションを取り、中にある取っ手を引けばダブルサイズのベッドになるソファーベッドは多い。地域の寝具店に行けば、様々なソファーベッドが売られている。値段はピンキリで、数百ドルの簡易なものもあれば、数千ドルはする大きく豪華なものもある。
私の家にもソファーベッドがあるが、寝心地はどうかと言うと、普通のベッドに比べあまりよくない。あくまでゲスト用や臨時用に寝るためであるのか、数本の鉄骨とそれを覆うシートの上に、薄っぺらいマットが収納されているだけで、その上にシーツだけを引いて横になると、背中が痛む。付属品であるその薄っぺらいマットの上に、自分でさらにマットを敷き、そして枕と掛け布団を用意しないと私は寝づらく感じる。
昔ラトビアに住む友人宅を訪問した際、2部屋で夫婦と子供4人と祖母の7人が住んでおり、全員が普段からソファーベッドで寝ていたのを思い出す。
部屋が狭い場合や泊まるゲストが多い場合は使い勝手がいいが、それ以外は私は単にソファーとして使用しているのみである。
Read More......
アメリカの多くのアパートなどでは、今でも洗濯機と乾燥機を共有する所が多い。日本での学生時代、下宿していた寮では共有だったが、今時日本のアパートやマンションで他の住人と洗濯機や乾燥機の共有はあまり見られないかもしれないが、アメリカではまだまだよく見かける。
アパート1つの建物にランドリールームなる洗濯部屋があり、その建物内で住む住人達が共有する。洗濯機、乾燥機それぞれ1回が1ドル50セントだったり2ドルだったりする。そのアパートによって、現金を直接入れたり、入金済みの専用のプリペイドカードを挿入して使用したりする。
ハワイで一時住んでいたアパートでは、30部屋程度の住人が、2つの洗濯機と乾燥機を共有していた。当然いつ行ってもたいてい誰かが使用中で、後がつかえているのに、終わってしばらく経っても洗濯機から乾燥機に移さないでいたり、乾燥機が終わっているのに洗濯物を取りに来ない住人も大変多かった。終わっているのに取りに来ない、誰か知らない他人の洗濯物を、洗濯機から取り出し脇に置くのは嫌だった。
自分の洗濯と乾燥が終わり取りに行っても、まだ私が先ほど取り出した、誰かの濡れたままの洗濯物が脇にあったりする。床に誰かの靴下やTバックなどが落ちていることもよくあったし、まれに、「乾燥機に入っていた物はあなたのものではない。部屋2番まで持ってきてください」と、誰かが間違って洗濯物を持っていってしまったらしい書置きを見ることもある。
今でもアパートのほか、コンドミニアムやホテル、モーテルなどでは共有する場合が多いので、アメリカで一軒家に滞在せず、洗濯したい場合は、上記のような洗濯作業で煩わしさを感じることがあるかもしれない。
Read More......
アメリカに永住して以来、全く見ないものの1つに、畳がある。日本の和室のように、畳が敷き詰められた部屋は、アメリカでまだ見たことがない。昔日本から移住した際、アメリカで畳を全く見ないので、アメリカ人に広める目的も兼ね畳のビジネスを始めようと思ったこともあるほどだ。アメリカの都市部にはもしかすれば畳屋があるかもしれないが、現在住むニューヨークの田舎ではあるわけもなく、周りのアメリカ人も見たことがない人が大半であろうから、ただただあの畳の清々しいにおいを懐かしく思う毎日である。
一方もう少し手軽に、畳に触れられる方法がアメリカにはある。ハワイに住んでいた頃は、浜辺沿いのコンビニなどで畳でできたシートが売られていた。海水浴客用に、浜辺で座ったり日光浴などの用途として売られていた。これは日本人のみならず、アメリカ人他外国人もよく買っていたのを見かけた。薄っぺらい数ミリの畳のシートで、ついた砂も払えば比較的すぐ取れ、懐かしいあの畳のにおいもした。コンビニで数ドルで売られていた記憶がある。
しかしそれ以外は日々の生活で畳に接することはなく、日本から和室用に畳を何枚も輸入するのも現実的ではないので、これからもおそらく畳に全く関連のないアメリカ生活を送ることになると思う。
Read More......
日本の映画館で見る映画料金は、大人でだいたい2000円だろうか。中学生以上の子供や65歳以上で1000円程度と思う。アメリカではどうかと言うと、その半値程度だ。年々少しずつ上がってきているが、それでも大人でだいたい8ドル程度で、日本のよりもずっと安い。日本の3歳以上の幼児料金がアメリカの大人料金くらいかもしれない。しかもクーポンなどを持っていればさらに安く見れる訳で、気軽に行ける。
なぜそんなに安いか(なぜ日本が高いのか)、詳しい理由は不明だが、同じ映画を見るにしてもほぼ半値で見れるのは、日本で2000円出して観た経験があれば感動するほどだ。中には、数年前の映画を専門に上映する映画館もアメリカにはあり、そこでは1ドルで見れる所もある。超破格である。
ハリウッドなどの洋画であれば、もちろんアメリカの映画館での上映が日本よりも早いのは通常で、安く早く見れるうえ、日本より安く観れるからと、そこに何も違いもなく不便もない。しかもラブシーンや Jackassなどの映画で局部などが出ても、モザイクなしで上映していることもある。
しいて言うならば、映画館内で売られているポップコーンやドリンクが高い。それは日本でも同じだろうが、館内売店のそうした料金が高すぎる、と訴えたアメリカ人もいる。確かにアメリカの映画料金並みに値段は高いが、日本に比べその量は半端なく、頭がすっぽり入るくらいの紙容器にポップコーンが入っていたり、1リットルはある容器でドリンクが売られていたりする。
なお日本の映画は宮崎駿のアニメなどまれに上映されるが、たいてい英語吹き替えになっており、しかも英語の字幕もない。英語力が相当なければ、映画を理解するのは難しく、座って観ているのがだんだん苦痛になってくるかもしれない。
Read More......
ゴミ収集車用に外に出すゴミについて書いてみる。日本だとゴミの日にゴミ袋を家の前に置いておくと思うが、アメリカだと一家に1つある、ゴミ出し用の巨大な専用ゴミ箱に入れて家の前に置いておく。それは高さ1メートルほどの直方体で、たまったゴミ袋を何個も入れられる。プラスチック製なので、蓋を開けない限りカラスや野良猫などに荒らされないで済む。ゴミ清掃員が収集した後は、それを家の前から庭などに戻す必要がある。
アパートでも専用のゴミ集積所にゴミ袋をいつでもポン、と入れておくのは日本と同じだろうが、アメリカではその集積所に鉄製の巨大な容器があり、そこにゴミを捨てる。大きさは縦横2 メートル×1メートル、高さ1.5メートルくらいだ(写真は企業や病院等で見られる物でより大きい)。ゴミ収集車はその鉄の容器の端にある穴に、正面から2つの鉄のアームを差し、上後方に容器ごと持ち上げ、ゴミを上から揺さぶり落とす。その光景は豪快である。
時にはゴミを全て揺さぶり落とした後、容器を上から車正面までアームで戻した時、これまた車についている専用のホースで、運転席にいながら容器の中を洗っていることもある。
一軒家のゴミ収集は運転者と収集者の二人一組で、道沿いにてテンポよく行われるが、アパートなどにある巨大鉄容器がある場所には、運転者一人でゴミ収集を行う場合も見られる。
なお日本で時折見られるような、童謡などの音楽を鳴らしながら周囲に知らせるようなゴミ収集車は、アメリカではまれで、今まで見たことがない。
Read More......
前回の続き。
今流行の洋楽なら、日本アメリカ問わずよく耳にできるが、日本のラジオ局でほとんど流れず、アメリカのラジオ局で比較的よく流れる一昔以前の洋楽は、日本で言うオリコンチャート1位の類ではなく、20位くらいのそこその有名の歌手というか、日本人受けするキャッチーな曲ではない場合も多い。キャッチーでサビを口ずさめるような、覚えやすいメロディーの曲でないのも多い。そういう曲なら日本でもヒットするはずだからだ。
日本で学生だった頃、Kento'sという生演奏するオールディーズパブで昔働いていたことがあり、60-80年代のオールディーズの曲もある程度知っていると思っていたが、この年代の洋楽になればもっと顕著に違いを感じ、日本でよく流れていた古い洋楽は、あくまでその一部といった感じで、アメリカのラジオ局で初めて聴いた、という曲の頻度が増える。
印象では、カラオケで歌えそうな、耳に残り覚えやすい曲がヒット曲とイコールである度合いが日本ではより強いが、アメリカではそれほどキャッチーでメロディアスでなくとも人気の曲はもっと相当ある気がする。
なおアメリカのラジオ局で高頻度で聴ける男性のカントリー曲は、日本のラジオでほとんど聞かれないのでここでは省く。
逆にアメリカのラジオ局で聴ける日本関連の曲はというと、ほぼ皆無で、クラシックFMで春の海など、日本の琴や尺八を使ったものがまれに聴け、またアメリカの有名歌手が日本でコンサートした際のライブ音源を流す場合もまれにある。
Read More......
私はアメリカでFMラジオをしばしば聴く。曲はアメリカの曲全ジャンル、年代問わずなんでも聴く。
FM局により、最新曲ばかり流したり、ダンスミュージック専門、全ジャンル問わず流すなど色々あるが、日本の一般FM局が流す洋楽とアメリカのそれとの、選曲の違いを感じることがある。
それは、日本のラジオ局で流す洋楽は、誰もが知っているような有名曲のパターンが多い。一方でアメリカのラジオ局は、日本人の誰もが知っている有名曲はそれほど多くはない。こんな歌手知らなかった、とか、こんな曲知らなかった、という場合をいまだ多く感じる。日本にいた頃から長年洋楽中心に聴いてきたが、知らない曲ばかりだ、というのが移住当初の印象で、日本でよく流れていた洋楽をアメリカのラジオで聞くのは10曲中3曲程度かもしれなかった。
誰もが知っている有名曲というのは、年代を問わず、CMやドラマなどでも使われ、その歌手が日本にコンサートに来るようなレベルの曲だが、日本にいた頃はそうした超有名曲やグラミー賞ノミネート曲、70年代から当時流行の洋楽をまんべんなく聴いていた気がする。
日本にいた頃から様々な洋楽を聴いていただけに、アメリカのラジオから流れる多くが知らない曲で少しびっくりし、横で妻やアメリカ人の友人がそんな曲を口ずさんで歌っていたことが多い。私が知っている有名な洋楽はむしろダサいと思われるほどだった。
Read More......
前回の続き。
また語学に関しては、私の子供達はアメリカ育ちのため英語は問題ないが日本語はペラペラではない。そのため日本の大学でしか絶対だめだ、という理由がない限りアメリカの大学に行くのは当然になる。日本の大学へ留学ならば話は別だが。
そして、一定の条件を満たせば学費が半額や無料、また支給型奨学金の多いアメリカの大学のほうが親としては魅力的だ(非常に高額の大学ももちろんあるが)。
やる気や活気にみなぎる生活、そして卒業後れっきとした大人として自立した生活を送って欲しいので、そのためにはアメリカの大学のほうが環境はより良いと思う。
出る杭を尊重する、人前で意見を述べる、ソトとウチの境界を厳しく引かず様々な人と気軽に話す、困った人がいれば助け合う、人と違った視点で物事を考える、活発に意見を交換する、ユーモアセンスがあるのが良い、他人の目を気にするよりも主体的に行動する、などが当たり前のアメリカの方が、学生同士がより互いに感化され成長できると思うからだ。
起業する学生、地域活動に精を出す学生、そしてインターンとしてしばらく社会で働いてみるのにも私は賛成で、アメリカの多くの学生がそれらを行い、そのまま就職するケースも多い。
将来何をしたいのかによるが、「日本」で住みたい、「日本」の医師になりたいなど、日本の大学でなければならない明白な理由がなければ、私の子供にはアメリカの大学のほうが良いと思う。
Read More......
子供は日米どちらの大学に行くべきか。子供の考えが最優先だが、私の意見はアメリカの大学に行ったほうがいいと思う。
理由はいくつかあって、まず移民の多いアメリカの大学ではたいてい寮生活が一般的である。レベルの高い大学になればなるほど、全米、世界から情熱を持った、自我と目的意識が高い学生達と生活を共にすることになる。そこで様々な文化価値観を持つ人々と日頃から交流することでより世界を知り、異文化を知り、人間としての幅が広がるのではないかと思う。
一方日本の大学に進学すると、高校からの知り合いや、地元出身者が多かったり、大都市の大学でも地元出身者と仲良くなりすぎたり、そうでなくともやや閉鎖的で結局考えや価値観に大した違いのない文化背景を持った友人しかできない傾向にあると思う。そしていまだ日本のトップ大学でも、留学させたり留学生を呼ぶなどの積極的な異文化交流、そしてインターンを含めた、産官学連携の実践的な社会交流が乏しい気がするからだ。
またこれは自分の経験でもあるが、教師が黒板に書きまくりそれを覚えればよい、的な型にはまった授業をしている学校が日本には未だ多いと聞く。それでは答えのみを追及して、様々な可能性や発想力、想像力など育たず、人と話し合うなどして自力で答えに至るプロセスがないと、学ぶ楽しさ、交渉力、話術も発達しない。教師は考えるきっかけを与え、様々な視点を通じてそれを生徒とともにざっくばらんに語り合い、良きアドバイザーのような立場で授業を頻繁にするようなスタイルがよりよいと思っているので、それがよく行われているアメリカの方が良いと思う。次回に続く。
Read More......
アメリカで暮らしていると、日本人との価値観に違いを感じることがある。
例えば日本のテレビドラマや人気の曲などの多くは、そのテーマや背景がどうも悲しく暗く、叶わぬ恋や失恋、あがいてもどうにもならない状況や世の中などがベースになっているものが多いように思う。そしてそうした辛さを共感し、中には苦労や悲しみにむしろ身を置くことが居心地がいいと無意識で感じている人が多いかのようだ。日本のヒット曲は、マイナー調やsus4コードの哀愁を醸し出す寂しい曲が多い気がする。
アメリカでは、テレビドラマではそういう類はまれで、アクションものやバンパイアもの、コメディーものなどハリウッド映画さながらで、寂しさに共感したりお涙頂戴的なものはあまりなく、悲しみや辛さに身を置くのではなく、苦難を切り抜けスカッとさせてくれるヒーロー的なものが多く、切り口やテーマが日本のものと大きく異なる。アメリカの人気の曲でもだいたい同じで、寂しさ、悲しさを歌う情緒漂うものはヒット曲でそれほど多くない気がする。
それは年配の日本人になればより当てはまりそうで、昔で言う臥薪嘗胆や、あきらめません勝つまでは、や、仁義、誠、武士道と言った、苦しいけれど歯を食いしばって頑張ろう、的な考えや、悲しみに共感しようとする節がありそうな気がする。私の高齢の母のように涙もろいと言うか、誰かの置かれた悲しく辛い状況に親身に付き合い共感してあげるようなところがあると思う。
アメリカで見てきた限り、そういうタイプの人は少なく、高齢者でも若年者でもいたってドライで、いつも冗談を言おう言おうとする性格の人たちで、そこに明らかな違いがある。アメリカ人も悲しみや辛さを人と共感することもあるが、それはまれで、たいていドライでさらっとしていて次の日にはけろっとしている様なところがある。葬式でも人が集まればいつものようにジョークや笑いが起きる。そしてテレビや音楽などはあくまで娯楽であり、楽しくかつ笑わせてもらわないと、とベースで考えているためか、寂しく悲しいものは少ないのかもしれない。
Read More......
アメリカでも喫煙者の肩身が狭くなっているが、アメリカ人はたいていどこでタバコを吸っているか書いてみる。
仕事中は屋外の喫煙所である。では仕事後、家ではどこで吸うかというと、かなりの人が外で吸う。家族に未成年者がいたり、吸わない人がいれば、喫煙者は当たり前のように外で吸う。一人暮らしや家族全員が喫煙者であれば家で吸う場合もあるが、その場合であっても外で吸う人をよく見かける。アパートで住む人は外で吸わねばならない。私も外で吸うが、何がつらいかというと大雨や猛吹雪でも外で吸わねばならないからだ。頭や肩に雪が積もるほどまでしてなぜ俺は吸うのかと、心まで寒くなりかねない。
タバコを吸いながらテレビを見たり、快適な部屋の中でくつろぐのは快適だろうが、最後にそれをしたのは相当昔の日本に住んでいた頃で、それ以来面倒臭くても外で吸う。吸いたくなれば自然と靴を履き外に出る癖がついている。周りの喫煙者も大半が同じく外で吸う。非喫煙者への考慮がずいぶん浸透した感がある。
現在はレストランやバーでもほぼ全面禁煙で、州や都市により、タバコに関する様々な異なった細かい規制がある。その市の公園は全面禁煙だったり、浜辺が全面禁煙だったり、バス停や建物の入り口から15フィート以内禁煙だったり、ある市ではそれが20フィートだったり。歩道でたばこを吸ったり、さらに街中で喫煙中立ち止まったら罰金刑がある都市もアメリカにはあると聞く。逆に公共の場所で自由に吸えるのは、私の住む周りでは一部のカジノで、喫煙者用のカジノエリアがあり、そこでは自由に吸える。それ以外は、灰皿のない場所は禁煙、と考えたほうがいいと思っている。
Read More......
私が住んでいるニューヨーク北部では冬に停電がしばしば起こる。原因は吹雪、ハリケーンである。送電線が故障して電気が止まるだけでなく、ガスも止まることもある。こうなると悲惨で、外部がマイナス10度程度の場合、家の中も息が白くなるほど相当寒くなり、暖をとれなくなる。
アパートに住んでいた頃は、電気ガスともに吹雪のせいで止まることが何度かあった。管理者に問い合わせすると、先着何名かは、近くの発電機のあるホテルに一泊してもいいということで、子供が小さかったこともあり、幸いホテルに泊まることができたこともある。もちろん宿泊費はアパート管理会社持ちであった。そうでない場合、また自己所有の一軒屋の場合の停電、ガス供給がないのは辛く、家に発電設備や薪を用いての暖炉でもない限り、吹雪の夜は相当冷え込む。食料は、生活の知恵なのか、人々は比較的普段から買い込んでいる。そういう時のために、寒冷地を中心に一階と同じくらいの広さの地下がたいていの家にはあり、そこに食料がよく保存されているからだ。
そういう環境に住んでいるので、天気予報を見る際も、西のシカゴあたりで猛吹雪があればこちらにもまもなくやってくると注意し、南部のフロリダ、サウスキャロライナあたりで巨大なハリケーンが発生すれば北上してこないか注視する習慣がついているのである。
Read More......
アメリカでラジオを聴いていると、カントリーの曲がよく流れてくる。日本にいる頃は、カントリーはしいて日本で言えば演歌のようなもので、アメリカの土地柄が色濃い民族音楽の類程度にしか思っていなかった。しかし90年頃から日本でもShania Twainや、その後Taylor Swiftなど女性のカントリーシンガーがヒットしだし、日本でもカントリーミュージックにかなり人気が出てきたように思う。
しかし男性のカントリー音楽はというと、そんなに日本では人気がないように思う。アメリカではどうかというと、ラジオでもよく流れてくるし、テレビでもカントリーの人気男性歌手が歌ったりテレビ番組に出演しているのをしばしば見かける。
しかし個人的印象だが、いまだに私は男性カントリー歌手の違いが分からない。その多くが同じようにカウボーイハットをかぶり、白地のシャツに黒いジャケットを羽織り、ジーンズとブーツを履いた風貌である。そして何より、彼ら男性カントリー歌手の声がどれも同じに聞こえてしまう。こういう声でなければいけないようなスタンスでもあるかのように、多くが同じような声で歌っているように感じ、違いが分からないほどだ。
それはともかく、カントリーというジャンルはアメリカでは女性歌手だけでなく男性歌手も人気がある。例えば、「ドアを開けると、待っていてくれた幼い子供の笑顔がとてもきれいで、それが私の一番大切なもの、欲しかったものなんだ」などという内容を歌う男性カントリー歌手の曲を、車で聴いていた妻がいきなり泣き出すほどで、日常生活のありふれた事を歌うのは確かに共感しやすいかもしれない。そして私が「この歌手誰?」と聴くと、妻は「知らない」、というレベルだが。
Read More......
アメリカ人はよく食べる。アメリカ人の妻と生活していても、周りの友人知人を見てもよく食べる。そして気づかされるのは、食事の多くが油っぽいか、砂糖が入っているものが多いということだ。
朝食は、パンにバターを塗ったり、ジャムをつけたり、ドーナツだったり、シナモンロールや砂糖だらけのシナボンであることがよくある。そして砂糖とミルク、またはシロップたっぷりの甘いコーヒーを飲む。それだとまだましで、朝から何枚ものベーコンやハムやステーキを食べる人もよくいる。
昼食は、たいていサンドウィッチが多いが、具が七面鳥のターキーだったり、ミートボールだったりするほか、フライドポテト、そしてチーズとサラミで一杯のピザやポテトチップスの場合もよくある。もちろんスペアリブやガーベージプレートなる巨大ハンバーグを平らげる人を昼間のレストランで見ることもある。
そして夕食は、ピザ、ハンバーガー、ステーキ、脂っこいパスタ、鶏肉牛肉豚肉全般の料理、海老など、肉と油ぎっしりの場合が多い。
もちろん昼のおやつや夜食も、ポテトチップスやチョコレート、ケーキなど豊富である。
そして共通するのが、昼食以降寝るまでの間、ペプシやマウンテンデューなどの砂糖たっぷりの炭酸飲料を飲む。日本の緑茶を飲むアメリカ人は皆無に近く、売られている緑茶の多くが砂糖や蜂蜜が入って甘くされてある。水を飲んだり、寿司などを食べても、これら強力な食物の前では相殺効果は薄い。
日本の酢の物やおひたし、ひじきや白米、焼き魚や漬物などは、これらに比べればとても質素に見えてくる。基本的に私はアメリカでも日本食を食べるが、出かける先々でそうした油っこいものや甘いものが多いので、食生活でもある程度アメリカ人化せざるを得ない環境にある。
Read More......
日本の水洗トイレのタンクの上には、水を流すと同時に蛇口から水が流れて手を洗えるようになっているタイプもあるが、アメリカにはそのタイプはほとんどない。アメリカに永住し始めてかなり経つが、アメリカのトイレタンクには手を洗えるようなものはない。妻は日本で数年過ごしていたが、水のリサイクルの意味でも良く、目の付け所がユニークな、日本の手を洗えるタイプに感心していた。
またアメリカのトイレタンクは、タンクの量が少ないのか水の勢いがないのか、水を流しても時々詰まることがある。紙をよく使えば詰まりやすいので、いわゆるカポカポする道具はタンク横にたいてい置いてある。
それはスイスに旅行した時でも起こり、レストランのトイレで大をした際に詰まり、水が溢れだしたこともある。経験上、日本で水が詰まったことはほぼ皆無であっただけに、アメリカでトイレが詰まった回数は大変多く、その性能の違いに気づかされるのである。
Read More......
アメリカには、お年玉の習慣がない。親からすれば嬉しいかもしれないが、その一方でクリスマスには子供に大量のプレゼントを与える。アメリカでのクリスマスプレゼントは1個でなく、子供1人につきに何個も与える。また自分の子供だけでなく、甥や姪、孫のほか、夫婦間、兄弟間、親など、年上年下関係なく親戚全員にプレゼントを贈りあうこともよくあるので、相当な出費になる。直系家族間の、祖父母と両親からその子供へは特に質量とも多く、他の親族からは一人一個または数個のプレゼントが贈られる。クリスマス後、小さい子供を持つ家では、親戚中からプレゼントをもらい、足の踏み場もないくらいのおもちゃで埋め尽くされることもある。クリスマスから一週間後に来る新年でも、まだ子供たちはそれらおもちゃを飽きずに楽しんでいる頃でもある。そういう理由もあって、アメリカではお年玉の習慣はないのかもしれない。
また私の家庭のように、日米のハーフの子供の場合、お年玉を与えているかであるが、私の家庭の場合与えていない。このようにクリスマスで大量のプレゼントを与えるからだ。私が子供の頃は日本で親からお年玉をもらっていたので、私の子供にも与えないと不公平かもしれないが、その分大量のクリスマスプレゼントをあげているので、それで差し引きゼロとしている。。
Read More......
一般的にアメリカ人男性は日曜大工が好きで、知識も豊富である。家の庭の一角に、大きな物置小屋がたいていあり、そこにはホームセンターで売られているような木工用具が所狭しと置かれている場合が多い。彼らは仕事後や週末に、車やバイク、ボートやスノーモービルなどの手入れや修理をしたり、家の電気系統や配水管、電化製品の修理、壁や床の手入れや修復までする人もいる。彼らは父や祖父、叔父や、友人知人などから、小さい頃からそれとなしに教え教えあってもらってきた。クリスマス用プレゼントに電動ドリルや電気カッターなどをもらい男性が大はしゃぎし喜ぶというホームセンターのコマーシャルもあるほどだ。
以前、私の家の床下を流れる配水管が漏れ出し、困ったとあぐねていた時、近所の友人がつなぎの服を着てすぐ来てくれて、埃やくもの巣だらけの床下に入り、すぐ直してくれた。ホームセンターでサイズ形の合うパッキンなどを買ってきてくれて、泥だらけになりながら金などいいよ、と颯爽と笑顔で返してくれたのにはいたく感動した。
同じ男性でありながら、日曜大工のことを知らない自分自身をとても情けなく感じた。日本だとこういう場合、たいてい業者に頼んだりして済ませるかもしれないが、そういう知識や能力がある者が一家に一人いると大変心強いものだ。しかし依然私は日曜大工のそういうレベルには乏しいままであるが。
Read More......
アメリカでは、様々なスポーツ番組が放映されている。私はスポーツをするのも見るのも好きだが、なぜかアメフトとバスケットボールは好きではない。だがその2つと、野球はアメリカの三大スポーツと言われるように、これらはテレビで本当によくやっている。最も高いコマーシャルは、アメフトのスーパーボウルの放映時のものと言われるほど、多くの人がアメフトを見る。
私はルールすら知らない(知る気がない)ので、知らず嫌いかと思うが、あまりにも毎日のようにテレビでやっているので、意地の張り合いのような気になる時もある。
他にアメリカのスポーツ番組で何がやっているかというと、よく見かけるのでは大リーグ(昨シーズンの試合を放送していることもある)、地元マイナーリーグの野球、州別、大学別の野球とソフトボール、アイスホッケー、またスノーボードハーフパイプ競技、サーキットを走るバイクレース、土のダートコースやジャンプを競うモトクロスレース、総合格闘技、プロレス、ラクロス、デイトナの車のレース、モンスタートラック(華麗なジャンプと着地などを競う)、ドラッグレース(細長い車2台ずつが速さを競う。数秒で終わる)、力自慢大会(大樽を上に投げたり懸垂したりしてその速さを競う)、テニス、ゴルフ、ボクシング、フィットネス番組などある。普段日本で見れないスポーツ番組が結構あり、しばしば観戦を楽しんでいるのである。
Read More......
日本の家は、玄関の靴を置くスペースはたいてい屋内より低くなっているが、アメリカの家では、靴を脱ぐ段差のあるスペース自体ない場合がかなり多い。玄関ドアを開けても段差がなく床がフラットで、ドアから少しの範囲だけ石、コンクリート、またはゴムなどのクッションフロアの防水床で、そこから同じ高さで木やカーペットの床に変わるパターンの家が多い。
玄関スペースが屋内よりたいてい低い日本だと、大雨洪水からいくらか守ってくれたり、外を歩いて汚れた靴と屋内とを隔離する、ソトとウチの境界を心理的にも作り出したりしているようで興味深い(アメリカの玄関ドアの前にはたいてい階段が数段ある家が多いが)。
またアメリカ人は、下駄箱自体置かない家も多く、靴のまま屋内で過ごし、寝るまで履きっぱなしだったり、脱ぐ家でも靴はドアの横に置くだけの人も見かける。そのためか私の家では下駄箱があっても、段差がないためドア付近は汚れやすく、念入りに拭き掃除をする必要がある。
雨の日や靴の裏が濡れて汚れている時用に、玄関ドアに目の粗いマットを置く家もあるが、そこで汚れを落としても家の中で履き続ける感覚は日本人にはない文化だ。だから雨の日に私の家にゲストが来ると、だいたい濡れた靴のまま入ってくるので心穏やかではない。
Read More......
12月24日クリスマスイブの夜は、一年で最もカップルがセックスする6時間などと言われるが、アメリカではどうかというと、それほどではないと思う。
理由はいくつかあり、まずアメリカでは日本のようなたくさんのラブホテルなどなく、特にカップル同士が2人きりで邪魔されないような場所が限られてくる。親が旅行や祖父母の家に出かけた際の家や、モーテル程度しか一般的にない。ラブホテルというもの自体アメリカにはほとんどないからだ。
またクリスマスは国民の祝日で休みであり、その前後は学校も仕事もたいてい休みのため、家に誰かがいて2人きりで過ごすことが難しい。
カップルの内片方でも一人暮らしなら、2人きりの場所と時間が確保できるが、それでもクリスマス(イブ)=セックスの日のような発想はアメリカ人にはない。その日は特に恋人と一緒にいなければならない、ということはない。
クリスマスの期間は、離れた場所に住む親や祖父母の家に訪れ、大量のクリスマスプレゼントをもらいあい、一緒に食事をするのが一般的であるからだ。
しいて言うならば、新年を迎えるカウントダウンをして深夜0時になれば、恋愛関係、夫婦関係でない異性とキスしてもOKという習慣はアメリカにはある。たいていカウントダウン用のパーティやバーなどで、見知らぬ人同士、知っているけれどそういう関係でない同士でも、キスしてもその場限りは構わない。中には気になる異性や意中の人とあえてキスができるよう、その時間、その場に居合わすよう準備する人もいるにはいる。
Read More......
アメリカで語学学校に通った際のことを書いてみる。アメリカに越してきて間もない頃、ネイティブレベルの英語にもっと高める必要があると痛感していたため、どこかいいところはないかと探したところ、近くのコミュニティーカレッジ(日本で言う専門学校的な所)で、夜に無料で講師による英語レッスンをしているのを知り、行ってみた。
参加してみると、参加者はそのほとんどが工場労働者やシェフなどで働くメキシコ人などの南米移民者で、韓国人女性が1人、どこか忘れたが中東の国から来た女性が1人、グリーンカードに当選したらしいポーランド人の年配夫婦などの構成で、日本人は私だけだった。それは語学学校というよりは雑談レベルに近く、黒板に書きまくるようなことは全くしない。講師が最近の出来事を話したり聞いてきたり、自国の文化や食事やそのレシピを紹介しあったり、ランダムに2人組を作り、警察官と容疑者になり犯行時のアリバイの説明をしたりなどをした。
しかし私は3回行ってすぐやめた。なぜなら、3つあったレベル別クラスの一番上のに出席したが、そのレベルは一言で言うと中学校レベルであったからだ。車のパーツを描いた絵を見せ、鏡を指差し皆でMirror、と言ったりもし、何かテーマを決めて話す際も、自分の番が回ってくるまで彼らのもたつく英語を延々聞くのは時間の無駄に感じた。講師と普通にぱっぱと会話ができたのは私だけだった。
ネイティブ英語のシャワーをもっと浴び、返答に窮するほどヒーヒー言うくらいのレベルを望んでいた私にとっては、全く見当違いのクラスであったからだ。
だがそこで気づいたのは、片言英語レベルの出席者の大半が、ネイティブのスピードで話す講師の英語を理解していたことだ。彼らは話せないのである。驚いたことに英語を聞き理解する能力はそこそこあるが、英語で話せないレベルのようであった。
分からないとか、もう一度言ってくださいとはあまり言わず、質問の返答を英語でどう表現するかでまごついている人が大半であった。それを思うと、後は話す能力を伸ばせば英語でまあまあ生活していけそうな人たちが多そうな気がした。彼らの読み書き能力、またどれだけ単語や語彙を知っているかは分からなかったが、講師自体も読み書きよりも聞く話すを鍛えるために時間をほぼ全て割いているようにも思えたのも気づいた点であった。
Read More......
アメリカでは、トレーラーハウスという種類の家がある。普通の家との違いは、トレーラーハウスはその家ごと、ごっそりと引越しができる点だ。また、家の骨格や外装の品質などがやや劣ると言われる。しかし実際のところ、アメリカではトレーラーハウスをよく見かける。所有者の大半が将来家ごと引越しを考えているとは限らないが、人気の理由は安いからである。
地域や築年数などにもよるが、2LDKで数万ドル、つまり数百万円で家を買えることもある。品質が低いといわれるが、実際家に入ってみると普通の家と違いが分からないほどで、私個人の印象では問題なく快適に過ごせる。たいていトレーラーハウスは何十戸などと固まって建っており、その地主や管理者に土地代を、月数百ドル程度払う程度で済む地域も多い。私も以前トレーラハウスにしばらく住んでいた時期がある。中古であったが、2LDKプラス25mプール3個分ほどの庭と、物置小屋、駐車場2台分があったその家は、何と5000ドル、つまり約50万で買えた。そして土地代を月300ドル払うだけだった。それはNYの田舎で、以前の話であるが、家は自己所有であるので、家を持ちたいと思っていた私にとっては信じられない破格で家を購入をすることができたのである。
Read More......
私はアメリカ人妻とその子供たちと、アメリカ永住しているが、子供達とは日本語で話すよう心がけていることは、以前「
ハーフの子供との意思疎通」で書いた。今回はもう少し突っ込んで、どんな日本語で話しているか書いてみる。
私は関西出身で、渡米するまでその大半を関西で過ごした。そのため関西弁が染み付いている。昔子供が生まれた頃、関西弁で話すか、標準語で話すか考えた時期があった。アナウンサーのように、方言使用者は必死に努力してイントネーションや表現を標準語に改めると言われるが、それが自分にできるかどうか。私の心からの感情やその表現は、関西弁で話すからこそ出るのではないだろうか。毎日の日常生活において、一生子供に標準語で話す努力と、子供が将来標準語で話す能力などもろもろを踏まえて考えた。結構な期間考えたと思う。
結果関西弁で話しかけることにした。方言かどうかよりも、日本語を教えるのは私しかおらず、かな漢字慣用表現など国語全体だけでなく日本の文化習慣価値観その全てを私一人で子供たちに教えるしかない環境であり、日中仕事で家にいない身である事も加え、それだけでも時間がかかるからだ。
などといえばそれっぽい理由かも知れぬが、やはり自分が幼い頃から使ってきた言葉を用いて自分の子供に接するのは至極自然であった。妻も英語で、英語ペラペラの日米のハーフが関西弁話すのってかっこいいかもと言ってくれた。そうして、私は子供に関西弁で接する。まれに子供が私に、何でやねん、ボケ!などと言ってくるが、それを教えたのは他ならぬ私であり、しまった、、とそんな言葉まで子供の前で言うべきでなかったと心で後悔する時もあるが。
Read More......
アメリカのテレビで出てくる日本のものは何か?普段アメリカでテレビを見ていて目にする、日本関連のものを挙げて見ます。
アメリカで見るニュースでは、日本関連はほぼ皆無である。たまに地震のほか、トヨタやホンダなどの自動車産業関連のを目にする程度だ(まれに早食い世界一優勝の日本人や、日本のユニークな製品、技術の紹介なども目にするが頻度は低い)。逆の日本のニュースで見る、アメリカ関連ニュースからするとその頻度は大変対照的だ。また日本の首相が変わったり、総選挙などがあっても、アメリカのニュースにはもし出てもちょっとだけの程度だ。
スポーツではメジャーリーグを中心に、活躍した日本人のみ目にし、逆に日本のプロ野球で活躍する元メジャーリーガーのニュースなどはほとんどない。
アメリカの映画やテレビドラマは日本でよく放映されるが、一方アメリカでは日本映画、日本のテレビドラマはほぼ皆無だ。日本で流行っている歌なども皆無だ。
ただアニメは別で、日本のポケモンや、Naruto、ドラゴンボールZ、セーラームーンや、宮崎駿の映画などは、英語吹き替えで比較的よく見る。CMではプレイステーションやWiiなどのゲーム関連、またトヨタ、ホンダ、日産、スバルといった車関連のものはよく目にする。
その他には、忍者や寿司、侍、東京などの言葉も、どのジャンルの番組でも比較的出てくる。ニンジャミキサーというCMや、テレビドラマの主人公が寿司を食べたり、脇役で日本人が出てきたりする具合だ(俳優は日系二世か、韓国人中国人だったりすることもあるが)。
しかし日本関連としては、そんな程度しかテレビに出てこないので、一般アメリカ人が連想する日本・日本人とは、寿司とアニメと車とユニークな製品が好きで、地震が多い国に住んでいるという、良くも悪くも統一感のないよく分からないイメージを抱いている。私も日本人でなければ、アメリカのテレビメディアの影響で、日本に対し興味深いがミステリアスといった印象を持ってしまうだろうと思う。
Read More......
英語で会話中、はい、うん、そうね、その通り、了解、などに相当する相槌を打つ言葉は、Yes, OK, Sure, Correct, Right, I see, I understand, I knowなどあるが、普段の日常会話ではもっとある。例えばAlrighty, Yeppers, Okie dokie, Uh-huh, Oh yeah, Oh yes, Exactly, Absolutely, Totally, Cool, Gotcha, I gotcha, Copy that, (想像以上の内容に対し相槌を感嘆や疑問で表して)No way!, how come?, Why not?, Are you kidding me? Oh my Goodness!, Holy Cow! , Holy smoke! などある。学校で習ったのはフォーマルでごく一般的なものだが、こういう例のように生きた英語では様々あるし、時代と共に変わっていく可能性もある。
同じことを言うにしても、その人の性格や相手との親密度、地域によって変わるが、たった相槌1つをとってもYesやOKの一辺倒よりも、状況によって使い分けるといろんな意味でいいと思う。その会話にリズムがつき、雰囲気が多少和みやすく話が広がりやすい。ただ例で挙げたのは友人知人の間で使うようなくだけたもの、スラングの部類のものもあるので、重要な会議などで場を和ませようとYeppers!と言っても自爆する可能性もある。
現地の人々の言葉をどんどん吸収しそれを自分の語彙として使っていくと、それで通じた際嬉しいし自分の英語が少し上達した気になる。一方で相手にしてみれば、日本人相手に、あえてフォーマルで易しく、ゆっくり丁寧に話していたが、普段からネイティブ同士で使うが第二言語使用者はまず言わないような、くだけた、フレンドリーな言葉を使われると、タガが外れるように、それならばと完全なネイティブ英語へとスピードも語彙も上げてくる場合がある。
背伸びして使ったためにさらにそのレベルについていかねばならくなる場合があるが、英語上達の意味では正のスパイラルかもしれない。私は大いにそれを経験し上達したからだ。
Read More......
アメリカの流し台には、たいていdisposer、生ごみ処理機がついてある。
流し台の排水口の中に、刃物が入ってあり、食べ残したものをそのまま排水口に流せる。通常流し台の下などにスイッチが併設されており、オンにすればその刃物が回転し、残飯を下水に流して処理することができる。
これは個人的に大変重宝している。アメリカに移住して以来、日本になくアメリカにあるもので最も便利なものの1つと思う。
食事後、水道で食器を洗い流し、残飯もそのまま排水口に流す。食器を食器洗い機に入れ、生ごみ処理のボタンを押せば後片付けが終われるので、家事の時間が短くて済む。通常の残飯の他、りんごの芯やスイカの皮なども処理できる。
そのため残飯を入れる三角コーナーが不要で、ごみを出す量も減り、ごみの日に出す際も生ごみがないため水気がなく、処理が便利だ。
なおこの台所の排水口に手を入れないよう、細心の注意を払っている。もし手を入れたままスイッチを入れれば、おそらくその手はなくなるからだ。また食物以外の、ステンレスのスプーンやフォーク、ヨーグルトの容器などを誤って排水口に入れたままスイッチをいれば、ガリガリガリ、とすごい音がして危険で、刃が割れ故障の原因になるため、スイッチを入れる前は問題ないか確認するようにしている。
Read More......
アメリカ人とコーヒーについて書いてみる。彼らの大半は朝コーヒーをよく飲む。依存があるのか、それがないと一日が始まらないかのようにすぐコーヒーを飲みたがる。スーパーで売られているコーヒー豆もアメリカらしく、1キロはあるような巨大な缶で売られており、大量に消費しているのが分かる。コーヒー用カップも、500ml以上入る大ジョッキのようなもので飲む人も見かける。昼食までコーヒーが続き、昼からはそれはたいていペプシ、マウンテンデューなどのソーダ水に代わる。
日本人にはブラックで飲む人が割といるが、アメリカに住んでいてブラックで飲む人を未だ見たことがない。彼らの多くは、砂糖、ミルクを大量に入れるのを好む。私の妻もその一人で、間違って妻のコーヒーを飲むと吐きそうになるほど甘い。人それぞれだが、概してアメリカ人はコーヒーをよく飲み、また甘い。余談だが、アメリカで緑茶のペットボトルが売られているが、それにも砂糖または蜂蜜が入っており甘く(飲みやすく?)されているものもある。
Read More......
私の住んでいるNY北部の田園地帯では、アパートよりもたいてい庭付き一戸建てのほうが多く、その庭も広い。25mプールが何個も入りそうな広さの庭を持つ家がたくさんある。それら庭には、Shedという物置小屋や、一角に花壇や畑などがあるが、他に日本であまりなくアメリカでよく見かける庭にある物を挙げてみる。
まずプールである。円形のプールを大変よく見かけ、大きさは直径3~5mのものが多い。飛行機で上空から見ると、プール付きの庭をよく見かけることができる。また、トランポリンも時々見かける。これも上記のプールと同じ位の大きさのものもよく見かける。
また、木も多い。10m以上の大きな木も庭によくあり、二本の大きな木が駐車場の左右にあり、木々の枝葉をアーチ状にしている家もある。木が大きいので、ハンモックにしたり、巨大な枝を使いブランコを作る人もいる。日陰になったり、冬の強風からいくらか家を防いでくれる。
他には、ピクニック用のテントや椅子、バーベキューコンロ、小さい子供がいる家では公園並みの広さと遊具が揃っていたり、国旗を掲げた高いポールに加え、キャンピングカーやボート、カヌー、スノーモービル、大型二輪車などを保管する倉庫兼車庫なども庭の一角にある。
ハロウィンやクリスマスなどのイベントが近づいてくると、数十センチはあるオレンジのかぼちゃや、等身大のガイコツ、数メートルある巨大サンタクロースやトナカイや雪だるまの置物などを庭に置いているのもよく見る。
広い庭は一見魅力的であるが、春から秋の終わりまで芝刈りをする必要があり、数時間かかる芝刈り作業を週に1、2回する必要があったり、木があれば秋に大量の落ち葉を整理する必要があったり、長い車道の雪かきなど、広いだけにその維持も大変ではある。人を雇い金を払って芝刈りをしてもらっている家もしばしばある。
Read More......
アメリカで仕事をしていると、日本人とアメリカ人の仕事に対する姿勢がある程度異なるのに気づく。今回は、金曜日の彼らの仕事ぶりの違いについて書いてみる。
アメリカ人の多くは、金曜日になるととても嬉しがる。明日から2連休で嬉しいのは多くの日本人でも同じだろうが、アメリカ人はそれをより態度に示してくる。職場の雰囲気が明らかに良くなり、人々は普段より楽しそうで、笑い声もいつもよりよく聞こえてくる。仕事の話でなく、世間話や今週末の予定などで会話が盛り上がる。
挨拶も、いつものGood MorningやHow are you today?などのありがちなものだけでなく、Happy Friday!や、Have a nice weekend!, TGIF!(Thanks God it's Friday!), と言ってくる人も多い。金曜の仕事中に喫煙所に行けば、普段会話を交わさない人が嬉しそうに私に世間話をしてきたり、全く知らない人がハイファイブやフィフスタッチ(互いの握りこぶしでタッチする)をしてくる人もいる。金曜日がどれだけ嬉しいかを歌った有名な歌も多い。
他の平日の気合のいれ具合が 100とすると、金曜日は60くらいの入れようか。金曜日を休んで3連休にしたり、金曜は昼までや3時までで仕事を切り上げる人も多い。会社によるが、私の職場の場合、金曜日は私服可であり、皆ジーンズなど普段着で仕事をするのも気分的に楽しさに拍車がつく。その代わり月曜朝は、たいていアメリカ人は気分が重い。あちこちから溜め息が聞こえてくる。Manic Mondayなど、やはり月曜朝の心境を表した歌もある。金曜と月曜のギャップの差は、日本人のそれよりも大きいと感じるのである。
Read More......
英語が話せるようになると、そこにプラスアルファの副作用があることに気づいた。
「恥ずかしい」と思うことがなくなり、他人の目が気にならなくなり、ハグや握手をよくするようになりスキンシップが増え、挨拶をよくするようになり、人見知りが減り、アメリカ人の他人とも気軽に話すようになり、ソトとウチの線引きを昔に比べ厳しく引くことがなくなり、ドアを持って後から来る人を待ってあげたり、日本人コミュニティーという限られた中だけの行動などではなく普通のアメリカ人と行動を共にすることで、アメリカで人との繋がりをより感じることができ、遠出をすることも億劫にならなくなり、会話の中で笑いを無意識に入れようとする、ユーモアセンスを取り込もうとしたり、議論をしても納得いくまでは引き下がらず、交渉事が昔より苦にならなくなり、完璧主義というよりは良い意味で雑になり肩がこらない生活になり、年上相手だからと必要以上にぺこぺこするような事もなくなり、他人からどう思われているかと気にするのではなく自分自身どう思うかを中心で考えるようになり、より自分という存在に自信を持つことができ、まとめると英語が話せるようになったことでさらに自由になった気がする。言い換えるとこれらの多くはアメリカ人の性格価値観でもあり、アメリカ人として片足を突っ込むような適度なアメリカ人化した気がする。自分がより本来の人間らしいワンランク上の自分に昇華できたような気にもなった。
言語とその文化は密接につながっているので、言語を覚えていくとその文化習慣、価値観も一緒に覚えていく。移住して単に英語を学べば英語が話せるようになるだけでなく、価値観という考え方にも影響を受ける。そしてこれは人によるものの、その影響を受け入れていった結果、幸い上記で書いた変化が起こり、自分がより成りたかった状態に近く、より気楽に人生を楽しんでいるような気がする。少なくとも日本で永住する人生を選んでいた場合の自分よりも、人生を楽しんでいる気がする。嫌なこともあるが、総じて英語を話せるということから得られたこうした付加価値は、自分自身をより幸せに、そして強く高めてくれた気がするのだ。
Read More......
前回の続き。私の英語が無茶苦茶でも、がむしゃらに会話をし続けた結果、今の私がある。渡米当初は私の英語力が低いために会話がままならなかった人とも、コミュニケーションが取れるようになってきた。渡米後およそ3年位経って、アメリカ人から英語がうまくなったね、と本心から言ってくれるようになった。私のレベルに落としてゆっくりと簡単な英語で話し続けてくれた妻の英語も、渡米当初凄まじく早いと感じたネイティブ英語のスピードで、私に話しかけてくれていることに気づいた。仕事上全て英語で話すが、普通の会話もメールも会議でも、ネイティブと同じようなスピードと会話内容で仕事できるようになった。まるでテニスで、今までは最初のサーブで終わっていたのが、何度もラリーを繰り返しこちらが勝ったような気分を覚える時があった。映画も最初の頃は、二時間も何が起こっているのか分からないまま観るのは苦痛のみだったが、今では大部分理解できるようになった。ある意味内容を言うにしても、相手の選んでくる単語や表現から、ニュアンスの違いも感じ取れるようになった。それでもまだまだ知らない単語は多く、今も妻にも聞くことがあるが、英語で生活するには問題ないレベルになったと思う。
全ては、無茶苦茶な英語でも話せるようになりたいという気持ちのもと、必死でがむしゃらに話し続けた、大変な下積み期間を過ごしたからだと思う。そして英語が話せるようになると、そこにプラスアルファの副作用ががあることに気づいた。次回に続く。
Read More......
前回の続き。渡米後すらすらと英語が話せないから、完璧な一文で言おうとせず、単語のみを言ったり、主語動詞の順でなく、日本語の順のようにまず場所や時間など副詞句、副詞節を先に言い、最後に主語動詞を言ったり、頭に浮かんだことをぶつ切りでバババッと言ったりもした。基本的に英語力のせいで会話を止めたりしないようにした。質問に対する回答がそれでもすぐで出ない場合は、相手の質問をオウム返ししたり、Ah--と言いつづけたりして時間を稼いだり。まるで口から出まかせで言うパターンだから、三人称単数、動詞の現在過去形などお構いなしで、文中でまた一文が始まったりなどは当たり前であった。とにかく目と耳で相手の単語、意味、意図、発音などその全てを吸収し、自分の語彙に増やしながら、無茶苦茶でもこちらの意図を伝えようと、いい格好などせず、分かった振りもせず、生きていくためにそれはもう、やけくその必死状態だった。
また、後々分からなくならないように、会話で分からない言葉などがあれば、 You mean ~?とすぐ聞き返したり、会話をさえぎってでも意味を確認したり、その場で出来る限り理解するようにした。携帯の電子辞書で確認したこともあるし、妻にもよく聞いたりした。むやむやにしておくと後でまた困るだけでなく、何が分からなかったのか自体忘れてしまうからだった。
妻がアメリカ人であったのは、大変心強かった。妻には何万回と質問しただろうか。妻が日本で英語教師であったこと、またアメリカで私が住むには英語をもっと覚えてもらうのは必要と本質的に感じていたのか、嫌がらずよく答えてくれた。今の英語レベルに達するに妻の助けは大変大きかった。
こうして渡米後すぐに、大学まで英語を勉強した自信やおごりなどは捨て、恥ずかしさも思い切ってかなぐり捨てた。日本で長年学んだ英語の大半が無駄のように感じ絶望感に似た気持ちもあったが、生きていくため一から仕切り直しするような覚悟を持った。また見よう見まねで話すたびに相手の言葉を自分のものにしていくのは、まるでものまね師のようなスタンスだったと思う。そのスタンスは基本的に今も変わらない。
少しでも早く英語が上達するようにと、英語上達法関連の本や教材を取り寄せたり、アメリカの英語学校に通ったことも一時あったが、やはり最もためになった最善の英語勉強法は、アメリカ人と会話をし続けることであった。これに尽きた。近道というよりは、むしろそれは王道であった。日本語で考える暇がないほどに、多くのネイティブ達と四六時中話すことが最も早く、確実に上達する方法であった。その後どうなったかは次回に続く。
Read More......
前回の続き。日本で長い間英語を学んでも、渡米後一から学び直さねばならない状況が続いた。こういう時はこう聞き、こう受け答えするという、ある一定のリズムやパターンを生きた英語から学び続けた。そのため日本で習わなかったがアメリカでよく使われる英語や、俗語などは会話の度にまるでスポンジのように自分の語彙として取り入れて行った。同時に、日本で習った英語のうち、実際に使わない英語はどんどん忘れて行き、代わりにそうした実際使われている英語で覚えなおし、補完していった。
全く英語を知らない状況で渡米するよりはましだったかもしれないが、一生懸命覚えた英語の多くが実際使われない死語のようで、それらを訂正して上書き保存するような追加作業に時間がかかったのも事実だ。
会話するのも大変だった。今から思えば、よく当時の私の無茶苦茶な英語に付き合ってくれたものだと申し訳なくなるほど、支離滅裂状態だった。どうしても日本で行っていた作業のように、完全な一文として頭で作り上げてから話そうとするから、テンポよく話せない。相手の英語も完璧に理解できない場合が多かったから、聞こえたいくつかの単語から「推測」してリズムよくすぐ返答しようと気がせいたため、質問の意図から外れた返答を、しかも遅れて下手くそな英語で返す。キャッチボールで返す相手へ、相当ゆっくりかつ見当違いの方向へ、投げ返すようなものだった。
今日明日ですぐ上達するものではないから、日本語が話せる日系人を探したり、日本へ帰ろうかななどと、現実逃避に似た気持ちにもなったものだ。
さらに日本在住のアメリカ人のように、周りが割りと(下手でも)自分の母語で話してくれたりしてくれる環境ではなく、日本語で助け船を出してくれるアメリカ人などいなかった(いても「コンニチワ」程度しか知らない人がほぼ全てだった)ので、アメリカで生きていくにはとにかく当たって砕けろというか、体当たりで英語環境に漬からざるを得ないし、それしか生きていく術がないとすぐ体感した。
まさに語学に王道なしで、無茶苦茶な英語でも恥ずかしさを捨て、とにかく聞き、話し続ける覚悟を決めた。そして具体的にどういう英語生活を渡米後送ったかは、次回に続く。
Read More......