前回の続き。私の英語が無茶苦茶でも、がむしゃらに会話をし続けた結果、今の私がある。渡米当初は私の英語力が低いために会話がままならなかった人とも、コミュニケーションが取れるようになってきた。渡米後およそ3年位経って、アメリカ人から英語がうまくなったね、と本心から言ってくれるようになった。私のレベルに落としてゆっくりと簡単な英語で話し続けてくれた妻の英語も、渡米当初凄まじく早いと感じたネイティブ英語のスピードで、私に話しかけてくれていることに気づいた。仕事上全て英語で話すが、普通の会話もメールも会議でも、ネイティブと同じようなスピードと会話内容で仕事できるようになった。まるでテニスで、今までは最初のサーブで終わっていたのが、何度もラリーを繰り返しこちらが勝ったような気分を覚える時があった。映画も最初の頃は、二時間も何が起こっているのか分からないまま観るのは苦痛のみだったが、今では大部分理解できるようになった。ある意味内容を言うにしても、相手の選んでくる単語や表現から、ニュアンスの違いも感じ取れるようになった。それでもまだまだ知らない単語は多く、今も妻にも聞くことがあるが、英語で生活するには問題ないレベルになったと思う。
全ては、無茶苦茶な英語でも話せるようになりたいという気持ちのもと、必死でがむしゃらに話し続けた、大変な下積み期間を過ごしたからだと思う。そして英語が話せるようになると、そこにプラスアルファの副作用ががあることに気づいた。次回に続く。