自然に囲まれたNY北部に住む日本人が、現地の習慣や価値観等、日本とのあらゆる違いを紹介します。アメリカ留学、移住、旅行等、アメリカに興味のある人向けです。

アメリカ飛行機欠航の話 その2

前回の続き。シカゴのオヘア空港のサイトをさらに調べると、一般人のボランティアによる、乗客の補助やアシストをしている詰め所の電話番号が分かったので、すぐに電話し状況を説明し、母親の介助を依頼した。
昼過ぎのフライトから、夜になってようやく、ボランティアの人の携帯電話から私の携帯に連絡が入り、母と話が出来た。苛立ちと不安と疲れで、か細い声の母と話が出来た。ごった返す中、黒人男性が母のところに来て、帰りの搭乗券を持っていかれた、もうどうしていいか分からない、と疲労と不安で泣いていた。
そしてボランティアからの話を母に日本語で伝えた。フライトは欠航になり、代替便を手配してくれるよう、他の乗客らのようにフロントデスクで手続きをするために順番待ちせねばならない状況だった。その黒人は係員のはずで、変更手続きをしてくれているはずだ、と伝えた。ボランティアのアメリカ女性もそう思うと言っていた。ここで夜の8時を過ぎていた。
しかしその後ボランティアが私にくれた電話では、その前にまず手荷物をいったん受け取り、再度手荷物検査を行ってから、代替便手続きの順番待ちせねばならないことになった。この時点でようやく車椅子を一台見つけてくれて、母は手荷物検査場へとボランティアと移動したが、ここでお土産用の食物を全て没収されてしまった。そして非常に落ち込んだまま、ようやくユナイテッドの係員と話が出来たようだが、今から日本に行ける便は何とシカゴから南部のテキサスダラス空港に行き、ニューヨークのJFK空港に行き、そして日本に帰る便ならあると言われる。
ここで私はボランティアの電話越しに、そんな無茶苦茶なフライトに乗れるかと、他の便かいったん私のいる都市まで戻れるよう変更依頼したがそのような便はもうなく、さらにシカゴ空港周辺のホテルは全て満室と言われ、空港からかなり離れたホテルは取ってもいいが、荷物を全部膝の弱い母一人で持ち、タクシーに乗りホテルのチェックイン/アウトなどするのは不憫で、英語が出来ない母もそれは出来ないと言って来た。私がシカゴに今から行くにも時間が遅すぎ、夜の9時を回っていた。次回に続く。