自然に囲まれたNY北部に住む日本人が、現地の習慣や価値観等、日本とのあらゆる違いを紹介します。アメリカ留学、移住、旅行等、アメリカに興味のある人向けです。

田舎へUターン移住する人々

最近テレビで、都会を離れ過疎が進む田舎で、農業などを始める日本人の若者が増えているとやっていた。それを見て私はなんだか嬉しくなった。都会の忙しい生活に孤独を感じたり疲れたり、自然とともに暮らす質素な生活を求めたり、田舎により残る地域の人々との物理的、精神的繋がりを求めたり、地域活性化に一役買いたいと思ったりと、様々な理由で田舎に移り住む人々を見て、その番組を見る限り田舎に移り住み生活するのがちょっとした流行になっているのかなと感じさえした。
田舎で生まれずっと暮らしてきた人にとって、都会で暮らしてみたい、という気持ちは分からないでもない。だが一度都会で住んでみて、やはり自分には田舎のほうがよいと、大人になって戻る人もいる。それはアメリカでもそうで、田舎の高校卒業後単身でLAに移り、いろいろやって14年後やはり田舎がいいと故郷に戻ってきた友人もいるし、卒業後数年大都市で働いたが、その後実家の田舎に戻るという人もたくさんいる。田舎に住むのがダサいとか時代遅れだ、という考えがもし薄らいできているのであれば、それは本人だけでなく移り住む田舎の経済にとってもいい効果があるように思う。
そういう風潮や人々の価値観の変化だけでなく、地方でも移住者への補助金や制度の優遇、有利な制度の新設、またインターネットの普及で山奥でも仕事が出来る環境にあるのも、田舎に移り住む人々を後押ししてくれている。 田舎の既存企業へ就職する他に、農業、漁業を始めたり、土地の名産特産品、工芸品を習い作ったり、なければ自ら地ビールを作ったり、既存のものに新たに何かを加えた新ビジネスを一から作ったりする人が増えている。
地方で働く人口が増えると、地域経済や産業活性化などだけでなく、出生率向上、失業率低下、幸福度の向上など、大きなうねりがよい方向へ動いていってくれそうな気がする。まだその動きは小さいかもしれないが、株のように人々の予感や期待もさらに高まることができれば、Uターン移住者やその地域も応じて、より発展する事につながるかもと思った。

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目を合わせない日本人 その2

日本からへ留学してくる高校生とそのホストファミリーに対して、生活がスムーズに行っているか、いろいろ助言やお世話、世間話などをボランティアでやっているが、彼ら留学生でも多くは私の目を見ない。
単に恥ずかしがっているのであれば、会話の内容もたどたどしくなるものだが、話は出来るのに目は見ない学生もちらほらいる。最初の頃はそうでも、半年、一年経てば彼らも英語力だけでなく、目を見て話をするようになる。ああよかった、いろんな意味で成長したな、と思える瞬間である。
あるTV番組で、ゲストに呼ばれたある会社の副社長が、いろいろ話をしていたが、回りの誰とも目と合わせずに誰もいない空間に向かって話していたのは異様に見えた。そして時々下目目線とも言うべきやり方で聞き手に一瞬目をやる。チラ見をしていた。
コンピューターでメールやチャットなど、正面に人を介さない手段での会話に慣れたのか、何とも度胸がない印象を受けた。目を見て話さないと言うのは、かなりの恥ずかしがりであったり、自信がなかったり、嘘を言っていたりと、何らかの理由があるはずだが、周りがみんなそうしているから自分も感化され目を見ないで話すようになったというのであればそれも寂しい。声だけでなく目や表情でも会話をするものであるから、相手の目をもっと見て話をするといいのになあ、とそうした日本人をみて思うのであった。

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目を合わせない日本人 その1

日本のTVを見ていてふと気づくのだが、日本人の一定数の人、特に比較的若い人の多くは相手の目を見ない。インタビューや対談などで、話をする際、その内容はしっかりしていても、聞き手の目を見ない。全然関係のない遠くをずっと見て、まれに相手を「チラ見」する。まるで見てはいけない物を見るかのように、まれに一瞬チラ見する。そしてまたどこか遠くを見ながら声だけ相手に伝えている。
それを見て、何とも言えない違和感やよそよそしさ、寂しさを感じるだけでなく、日本にいた頃の昔の自分も一時期そうだったような気がして、変なデジャブを感じた。アメリカ生活が長くなり、アメリカの価値観や習慣にかなり適応してきた一つの結果なのか、私が話をする時は相手の顔を見る。それは普通の日本人からすれば、ガン見で、思いっきり見ていると思われるかもしれない。声だけでなくて、表情もそのキャッチボールの重要な要素となる。アメリカでは私の知る限り、ほとんど全ての人が相手の顔を見て話をする。
そうであるだけに、日本人の多くがする相手の顔を見ない会話は、むなしい。相手と必要以上に仲を深めたくないのか、目を見るのは恥ずかしいのか、新しい流行的価値観なのか、あまり相手の目を見て嫌がられたくないからなのか、長い間日本に住んでいないので、その本音は分からない。
だがどんな理由であれ、私が聞き手であれば、こちらを滅多に見ないで話されるのはきっと寂しいと思う。私のこと嫌いなのか、とか、何か気に障ることでも言ったかな、と思ってしまうかもしれない。だが話の内容はしっかりしているのにただこちらを見ないのであれば、コミュニケーション不足なのかな、自分に自信がないのかな、常に一定距離を置くことがこの人の快適方法なのかな、と要らぬ勘繰りをしてしまいそうで、終始目を合わせてこない態度なら、私とその人と今後友人になるかならないかの答えは明らかになる。

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アメリカに永住する2種類の日本人

私がアメリカに住み始めて変わった事の一つは、日本の頃と比べて生活が質素かつ喜楽になったことだ。
日本にいた頃は周りに振り回されていたかのごとく、新しい情報や新商品、流行になどに乗り遅れないようにしようと、心のどこかであせっており、心の平安を感じることがなかなか出来なかったように思う。それは年齢やどこに住んでいたかにも影響するものの、精神的にも、物理的にも、アメリカで生活するようになってのんびりと、質素な生活を送れるようになったと思う。
例えばテレビを見る場合、日本だと見れば余計に疲れた。視聴者に不安をあおるようなニュース番組や情報番組が大変多く、見て楽しくなれるものはあまりなかった。また街を歩けば人と関わりあいを避けようとするかのごとく、あくせくと時間に追われる人々が周りにいると、自分にも多少の影響は受ける。知らぬ間にそういう人々の一人になってしまいかねない。
私が住む場所は、マンハッタンのような都会ではなく、かなりの田舎であるから、これも自分にかなり影響を受けた。アメリカの田舎暮らしは自分がなりたかった将来像に手助けをしてくれるほうに近く、周囲の人々や町並みがのんびりしているし、1980年代以前の日本で感じられた、人々の他人への親切心や心のつながりがここで感じられるから、自分もそういう風に感化を受ける。日本にいた頃には考えられなかったが、何にもないような日々が実は最高の日々のような気になってくる。
もっともっと、と欲深く何かを追うことが減り、周りの人々のように家族との時間、家での時間を最も大切にし、のんびり過ごす事が幸せであるように思えてくるようになる。スケジュール帳はアメリカに来てから持ったことがないし、流行を気にせず自分のしたい事をする、という周りのアメリカ人によくあるスタンスが、自分にも大変上手く行った。自分が幸福と思える基準となるレベルが自然と下がっていた事に気づき、多くの事柄に日本時代ほどストレスを感じることがなくなり、多くが受け入れられるようになった。
自分主体で周りの目を気にすることもなくなったし、多くの会社は残業しないし、人とつながっている感覚があり、心に余裕が大変持てるようになったのも、アメリカ生活のメリットになったと思う。人により、大都会が好きで、いつもあくせく動くほうが好きと言う人もいるだろうが、幸運にもアメリカの田舎での生活は、自分によく合う。
以前テレビで、アメリカ移住後半世紀以上永住している日本人が言うには、アメリカに永住しにくる日本人には2種類いる、一つは打ちのめされて日本へ帰る者、もう一つはどっぷり適応して現地の人間になる者だ、と言っていたが、幸運にもきっと私は後者の部類になれたかもしれない。

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仕事後あまり飲みに行かないアメリカ人

アメリカで仕事をしていると感じる違いの一つに、アメリカ人の特に既婚者の多くは仕事後飲みに行かないというのがある。
日本で勤めていた時は、上司や部下、お得意様などと一緒に飲みに行こうと誘われ、帰るのが夜遅くになる事は頻繁であった。最終電車では同じように酔いつぶれたサラリーマンが熟睡しており、酒臭かった車内を覚えている。
アメリカでは、人によるものの夕方5時や6時の定時になると、たいてい皆家に直行する。仕事後は、新しい一日が始まるような気持ちの切り替えをしているようで、帰宅後の家族との時間を大切にする。キリスト教にあるように、労働は苦や罰のような概念が彼らにあるのか、さっさと終わらせて家族や自分だけの時間を早く持てるように仕事をするスタンスに近いものがある。
なので、それを引きずるような、上司などの仕事関連の人々との飲み会はあまり行かない。もちろん仕事後全く同僚たちと会わないわけではなく、一緒にバーなどで飲む人は飲むわけだが、それでも通常会う場合、自宅に招いてバーベキューをしたり、ゴルフをしたり、家族を連れて開放的な時間で接することがある。これも仕事のうちと、居酒屋で上司や同僚の愚痴を聞くような、やや陰惨な雰囲気がしかねないものでなく、爽やかなものだ。
私の会社の場合、同僚が退職や異動したり、新入社員が入社したりした場合でも、仕事後バーに行くというよりは、昼食時間に皆でレストランに行き、パーティーをすることが大半だ。なので、仕事後の飲み会や週末のゴルフは、親睦を深めたり上司に可愛がられるための出世競争の一つなどという発想はアメリカではあまりなく、仕事後や週末は仕事を忘れて、各自好きなように過ごしてリフレッシュする、というのが暗黙の了解であるようで、勤務時間外で滅多に同僚と会うことはなく、結構のんびり過ごすことが出来る。

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