アメリカ人が通常どんな昼食をとるかは
アメリカの定番ランチメニューで述べた。ハンバーガーやサンドウィッチがメインだが、日本人からすれば少し想像しにくいサイドメニューがある。ポテトチップである。
ポテトチップはおやつや間食用として考える日本人は多いかもしれないが、アメリカ人はもちろん間食のほか、昼食、夕食にも出る。たいていサンドウィッチとセットで出る。それはレストランでもセットで出してくるし、サブウェイなどのサンドウィッチのファストフード店でも客は一緒によく買う。
確かにサンドウィッチとの相性はいい。しかし日本人からすれば、そんなお菓子の類を食事に出して、栄養取れるのかなどと思う人もいるかもしれない。しかしそれは日本人のラーメンと餃子のように、サンドウィッチにはポテトチップをセットで食べるのは、アメリカ人では当然のごとく浸透している。
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アメリカでは飲み物を飲む際、小さいドラム缶のようなカップで飲む人がいる。高さ20センチ、幅は15センチくらいはあろうか。容量は1リットルはあり、小ぶりのピッチャーのようである。またそのカップはたいてい保温も出来、近くのスーパーでなどで買うことが出来る。日本ではこれほどの大きいカップを使う人を見たことも、売っているのを見たこともあまりなかった。それでコーヒーや、大量の砂糖が入ったドリンクを飲む。
ある記事で、水分の急激な取りすぎは体の水分も急激に増加し、心臓が血流量を早め心拍数が増加し、心臓麻痺や脳の疾患につながるという。量が多いカップなだけで、一日がかりで少しずつ飲むならまだしも、そんな樽のような巨大カップでガブガブ飲めば、見ている方が大丈夫かと心配にもなる。当然のごとくか、彼らとトイレで居合わすと、ホースから勢いよく水が出るように大量のおしっこをしている音が聞こえてくる。
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アメリカ人と電話をする際に、違和感を感じる瞬間がある。電話を切る時に、彼らの多くはBye、ガチャっと、Byeと言うのとほぼ同時で電話を切ってくる。日本人なら、バイバイ、と言って多少の間があって電話を切るように、受話器を耳から離してよいしょ、と電話を切るタイミングで相手も切るかと思う。まして相手が目上やお客さんなら、相手が切ってからこちらも切るのはマナーなほどだ。
一方アメリカ人はほぼ瞬殺のようで、こちらはまだ会話している感覚でいる中、Byeガチャ、となるため、ピーと電話を切った後の音が聞こえることもある。そして何か気に障ることでも言ったか、怒っているのか、と当初相手の切るタイミングの速さから気にすることもあった。
これはまるで人を見送る際、相手が見えなくなるまでその場にいて見送る日本人と、Byebyeと手を振ればさっさと立ち去るアメリカ人と感覚が似ている。だからといって、電話でも見送る際も、アメリカ人が怒っているわけではない。ただそういう発想がないだけだ。アメリカ人はドライで単純明快というか、日本人がサービス精神や奉仕精神が豊かというか。いまだに空港の出発ゲートで見送ってもらい、手荷物検査後もう一度ゲートの方へ手を振ろうとしたら既に立ち去りいなくなってしまっていた時の、一抹の寂しさは日本人なら感じることが出来ると思う。
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日本では、~ちゃん、とちゃん付けで呼ぶニックネームがよくある。あきこという名前なら、あきちゃんやあきこちゃん、といった具合だ。アメリカではどうかというと、たいていは年上年下関係なく、単なる名前の呼び捨てが非常に多いが、ニックネームももちろんある。アメリカのニックネームをいくつか例に挙げてみる。
RichardがRobert、WilliamがBillなどのように完全に変わるものや、ChristinaがChris、ElizabethがBethやLizaになるように、名前の一部分がニックネームになる場合もよくある。まさひろ、という名前がまさ、となる具合だ。
また日本では木村拓也がキムタクとなるように姓名から一部ずつとる場合もあるが、よく似たパターンで英語ではファーストネーム、ラストネームの頭文字1文字ずつ取ったイニシャルのものもたまにある。これはEvangeline Montgomeryなどのように比較的長い名前の場合に、E. M.とニックネームになる場合がある。
日本名でも英語のニックネームにされやすいものもある。めぐみがMegに、まりこがMarieに、けんたろうがKenに、みきおがMickeyのようにだ。だがそうもいかない、長い名前の場合もある。ニックネームが決めづらかったり自分の名前で呼ばれたくない場合、本人がこう呼んでほしい、と言えばまるで芸名のように、全く関連性のないニックネームで彼らはたいてい呼んでくれる。普通の日本人名の人が、 ニックとアメリカ人から呼ばれることだってある。外人と話をするときだけ、新しい自分が生まれたようで、それも楽しいかもしれない。
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日本では人を呼ぶ際、ニックネームまたは~さんとさん付けで呼ぶのが普通だが、アメリカではニックネームまたはファーストネームをそのままで呼び合う。
だが日本人とアメリカ人が知り合いになる際、日本人はアメリカ人に対してニックネームかファーストネームのほか、クリスさんなどとさん付けで呼ぶ人もいる一方、アメリカ人が日本人を呼ぶ際は、通常呼び捨てになる。例えばクリスさん、と日本人が呼ぶ一方、アメリカ人はSachiko、と呼び捨てだ。
英語では年上年下関係なく呼び捨てかニックネームが普通で、Sachikoさん、とあえてさん付けで呼んでくれるアメリカ人はかなり少数派だ。
日本人の感覚からすると、これに違和感を感じる人がいるかもしれない。明らかに年下のアメリカ人からも、呼び捨てで呼ばれるからだ。しかも少し長い名前や発音しずらいと彼らが感じれば、敬称をつけず、苗字をそのまま呼び捨てにしてくる場合もある。
私も職場では苗字をそのまま呼び捨てで呼んでくるアメリカ人も多い。名前が言いづらくニックネームも特にない場合、苗字で呼んでくれて良いが、文化の違いを十分分かっているつもりでいても、せめて~さん、と呼んでくれるとその後の会話がもう少し楽しくなるのに、と正直思うときもある。
私の母も、10歳以上母より若い、妻の母から名前をさん付けなしで呼び捨てにされ、なんて無礼な人なんだ、と初対面時私に不満をぶつけていた。アメリカ人にしてみれば悪気はないわけで、かといって呼び捨てで年上の日本人を呼ぶのは無礼であるから、せめてさん付けで呼んでくれないか、というのもけったくそ悪いし、片方の文化を押し付けている気もしないでもない。慣れもあってこちらが折れることもあるし、結局母のようにむりやり妻の親族からさん付けで呼ばせて定着させた強者もいるにはいる。
こういう呼び捨てがやはり嫌な人は、初対面時に、Sachikoさん、と呼んでくれと、敬称をあたかもニックネームの一部として入れ込む強引技を使う人もいる。これが私のニックネームで、こう呼べ、と言えば、敬称の概念のないたいていのアメリカ人はそう呼んでくれるのも事実である。
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アメリカ人と金曜の午後に話をすると、たいてい話の終わりにHave a nice week end!と言ってくれる。平日でも、Have a nice day!やHave a nice night!, Have a good one!と言ってくれる。いい週末を!、いい日を過ごしてね!などといつも気兼ねなく、さらっと言ってくれるのは気分がいい。中には、Have a great day!や、Have a great week end!と言ってくれる人もいる。
こちらも(Thanks,) You too!と気分よく返す。そんな意味合いを日本にいるときはほとんど言い交わしたことがなかっただけに、アメリカ人のこの習慣は互いに気持ちがいい。
こう言い合う習慣は取り入れて、日本でももっと言いあえば、小さなことかも知れぬがちょっと気持ちがほんわかして、その日の後半は本当に楽しい日が送れそうな気さえするのだ。
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アメリカのカジノでも触れたが、ラスベガスのほか、私が住むニューヨーク北部でもカジノはある。
もし一日休みが出来て、子供の世話などもしなくていいのであれば、私はカジノに行くかもしれない。カジノには、ラスベガスのようにホテルが併設しているところもある。結婚記念日や誕生日などには、私は妻とともにそうしたカジノのホテルで宿泊することが時々ある。周りのアメリカ人宿泊客も、そういう記念日的な日にカジノのホテルに泊まってカジノ三昧を楽しむ人が多い。カジノはたいてい24時間やっている。チェックインだけ済ませてすぐ一階のカジノに出かけるのもいいし、深夜でもカジノはにぎやかにやっている。あまりがつがつしない、優雅で気ままなカジノの雰囲気が好きだ。
広大なスペースに数百台はあるカジノで遊ぶのももちろんよし、エステやジャグジーでのんびりするのもよし、またレストランやバイキングで食事し、そのホテル内で行われる有名歌手のコンサートやコメディアンのショー、ブロードウェーのような娯楽、さらに周辺地域の観光などに参加するのも楽しい。かなり有名な歌手がこうしたカジノのホテルでコンサートをするので、それ目的で訪れる客も多い。 このようにカジノだけでなく様々な時間の過ごし方があり、次にカジノのホテルに泊まる日を楽しみにしているほどだ。
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アメリカでは、コタツはない。当たり前かもしれぬが、今まででアメリカで見たことはない。
理由を考えてみたが、まずアメリカ人の多くは家に帰っても靴を脱がず、寝るかシャワーを浴びるまで部屋の中でそのまま履き続ける人がいるからかもしれない。
次に、部屋の中で基本的に座るのは椅子かソファーのみで、あえて床に座ろうとしないところがあるからかもしれない。
また一言で言えば文化の違い、となるが、コタツのようにコタツの中のみ暖かくするのではなく、アメリカでは床の一角にある穴から温風が出たり、セントラルヒーティングで部屋全体の空気を暖かくするので、コタツのような発想とは少し異なる。
さらに、普段からアメリカで食事をするのは、椅子に座り、足の高いテーブルの上であって、座って食べるちゃぶ台のようなものはあまり一般的でない。
そうした理由から、コタツはアメリカではないのかもしれない。そのため、日本で掘りごたつのある居酒屋などを訪れたアメリカ人の大半は、Cool!と言うようだ。
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アメリカにはパチンコ店はない。代わりに、カジノはある。しかもラスベガスだけでなく、私が住むニューヨーク北部にもいくつもある。他にギャンブルでは、競馬やドッグレースなどもある。
私も時々近くのカジノに行く。普段から老若男女たくさんの人が訪れるが、どちらかといえば高齢者のほうが多い気がする。
カジノではどんなものがあるかというと、ラスベガスにあるようなスロットマシーンや、それによく似た特定の絵柄を狙うものや、ビデオポーカー、ブラックジャック、ビンゴや、ディーラーとテーブル席で行うポーカー、ブラックジャック、ルーレットなど実に様々なものがある。掛け金も、1円に相当する1セントから、5セント、10セント、25セント、1ドルなど、所持金や気分に合わせ自由に遊べる。会員登録すれば、そのメンバーカードを機械に差し込んでから遊ぶと、ポイントがたまり、様々な商品や併設のレストランの割引などに使える。
私が好きなのは、プログレッシブという類のスロットマシーンで、その種類のスロットにかけた人が多ければ多いほど、累積して当たった時の額がどんどん上がっていくもので、大きな効果音と、派手な演出で、カジノの目立つ所にたいてい置いてある。特定のマークが来れば数百万円当たることもある。
またよくあるのが、特定の絵柄が3つ来ればフリーゲームとして、15回や30回お金をかけずとも遊べるのもよくやる。カジノにはたいていスロットマシーンが数百あり、どれで遊ぼうかと遊園地にいるような感覚で、2,3時間はすぐ過ぎる。
腹が減れば併設のバイキング等で食べ、また戻って遊ぶ。あまりがつがつ大金を狙わず、一緒に行く人らとそのカジノの雰囲気を味わうのを楽しみにしているので、その日決めた限度額をすってもああ楽しかった、また来ようとなるのである。
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アメリカ人の仕事術について、思うところを書いてみる。同じ仕事をしても、アメリカ人は目標に到達する、ということにまず多大な焦点が向いている。清掃でも、事務作業でも、建築業でも、製造業でも、会議や商談でも何でも、おおざっぱに言えば合格点に到達すれば終了、というような仕事ぶりだ。つまり日本人の仕事のように、完璧主義ではない。
清掃が仕事ならば、きれいにする、という目標に到達すれば終わりで、さらに塵ひとつない完璧な状態まではしない。合格点である60点にさえ到達すれば終わりである。日本人はそれは当然で、さらによりよい体裁や見栄えを求めたり、あらゆる起こりうるリスクの可能性を踏まえ、丁寧確実に、求められていることプラスアルファの出来で応えようとするところがある。
必然的に、同じ仕事でも日本の完璧主義だと質の高い結果が出来るが、同時に時間がかかる。アメリカ式の仕事だと、合格点はもらえるだろうがある意味詰めが甘く雑で、日本式より質は低く、また一方で早く仕事が終われやすい。
理想を言えば、質が高く早く終われる仕事がよいだろうが、人により価値観が違うので100%絶対な仕事術はないかもしれない。しかし現実のところ、アメリカ方式だと早く家に帰れる。
アメリカで仕事をしていると、日本式でこなすと個性が出てよいかもしれぬが、同僚のアメリカ人達がそんなアメリカ流仕事のスタイルであるため、私もある程度それに倣うスタイルで仕事をしている。そのため深夜まで仕事をすることなどまずなく、夕方には家に帰り、家族と寝るまでたっぷりと時間を満喫できている。 アメリカにいるから出来ることなのかもしれぬが、アメリカ流仕事術の大きな副次的産物である。
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日本にいるアメリカ人と、アメリカにいる日本人の使用する言語について、思うところを書いてみる。
日本では公用語が日本語だから、外人にも日本語で話すのが当然で、逆にアメリカにいるならば英語で話すのが筋だと思う。
しかし日本では外人にはわざわざ英語で話そうとする人が大変多いように思う。それは英語の勉強にもなり、またはその外人が日本語を話せないから仕方なく英語を話そうとしているのかもしれないが、それと同じことはアメリカでは起こらない。
日本語を話せるアメリカ人は、アメリカでは非常に少なく、当然誰にでも英語で話しかけてくる。一方、外国に行けばその国の言葉を話すという、郷に入りては郷に従えの原則が、日本ではかなりゆるくなっている気がする。原則日本では日本語を堂々と使って頂いて結構と思う。日本に一時帰国する際、外人と話す機会があれば、私は日本語で普通に話しかける。
それで相手が日本語を解せないならば、日本に住んでいるのに日本語を話せない相手に落ち度がある、というのは言いすぎだが、当初アメリカで住み始めた私は、アメリカ人が日本語が分かればどんなにありがたいか、と昔よく思っものの、日本語で助けてくれたアメリカ人はほぼ皆無であった。英語が公用語のアメリカで、なぜ日本語で話してやらねばならないのか、というほどに、英語を話せない者への仕打ちは大変冷たく、アメリカで生きていくには英語習得が不可欠だ、と身を持って痛感した。
しかしむしろそんな苦労を経験してきたおかげで、結果的に第二言語を使いこなせその文化習慣も体当たりで会得できたと思う。そうした理由から、アメリカでは英語しか話さないアメリカ人同様、日本では日本語しか話さないようにしている。
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日本にいた頃は、選挙が近くなると、駅前で候補者が朝の早くから通勤者に向かって演説していた。かなり前だが、選挙期間以外でも定期的に駅前でいつも同じ人がマイクを持って演説していた記憶がある。拡張器を持って話す宣伝カーもよく見たしうるさい程だったが、アメリカでは滅多に見ない。
私が田舎に住んでいるのもあるが、日本のそれほどまず見ないし、あってもそんなにガツガツと、ありがとうございます、OOです、よろしくお願いいたします、と握手しまくるような印象がない。
4年に1回の大統領選挙の時は、候補者は各州を回り、各都市で講演をする。その時は全米が注目する程で、候補者も選挙活動に必死だ。しかしそれ以外は、拡張器を持って走り回る候補者を周辺で見る機会は日本よりずいぶん少なく、静かでよい程だ。グリーンカードで永住している私にとっては、選挙権がないので、一生懸命な候補者の演説を聞いても投票のしようがないのであるが。
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アメリカのセミについて書いてみる。
日本のは、田舎だけでなく都会でもかなりの数がいて、爆音に近いような音で暑さが増しそうな程だが、アメリカはそうではないように思う。
私はアメリカの田舎に住んでおり周りは森林が多いが、セミの鳴き声はほとんど気にならない。確かにセミはいる。姿や鳴き声もほとんど同じだが、絶対数が少ない。木は周りにたくさんあるのに、セミは少し離れたところで数匹鳴いている程度だ。全米各地でどうなのか調べた訳ではないが、ハワイに住んでいたときもほとんど記憶がない。
そういう理由があってか、日本のTVドラマをアメリカで放送する際、セミの鳴き声が大合唱の様にあまりに大きく、アメリカ人に馴染まない等の理由でセミの音のみをカットして放送されるほどだ。
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私にはアメリカ人の妻との間に2人の子供がいる。アメリカに永住していると、必然的に子供たちの母国語は英語になる。しかし日本人とのハーフであり、将来日本語でも生活できるようにと、私はあえて子供たちに日本語で会話をする。
面白いもので、私は子供に日本語で話し、子供たちは日本語を聞いて英語で返答する。同時に子供が英語で話しかけてきても、私は日本語で返答する。そんな生活を送っている。
言葉は文化である、と言われるように、その国の言葉を覚えていくと同時に文化も学び取れると信じている。そのため確かに変な感覚はあり、英語で話した方が楽だと思う瞬間もあるが、毎日毎日頑張って子供たちに日本語で接するようにしている。
私自身、ペラペラではないが英語の使用はほぼ問題ない。しかし子供は生まれたときから母や多くのアメリカ人の親族、友人らとともに暮らしてきているので、子供のほうが英語が上手だ。
時折子供が話す英語が流暢過ぎて何を言っているか分からないときがあるほどで、どういう意味?と聞き返すこともある。日本にいる母が、子供に英語教えてもらったら?と茶化されるのだが、日本から移住し、アメリカで永住していると、こうしたややユニークな環境で私たちは生活しているのである。
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アメリカでのオリンピック観戦について思うところを書いてみる。
オリンピックを見ていると、やはりアメリカなので、放送も出場するアメリカ人選手の競技が中心である。競技の合間はアメリカ選手の幼い頃のエピソード等が紹介される。
そして大半の競技でアメリカ人選手はメダルを獲得する。そのため、日本でオリンピックを見ていた時のような、やっと出てきた日本人選手が、他国の選手に負けずどうかメダルを取ってくれ、と祈るような気持ちで観戦することもない。アメリカ人選手の多くがメダルを獲得し、いつもベスト3に入るほど量産してくれる。決勝戦がアメリカ対アメリカという競技もあるほどだ。
アメリカで住む私は、どの国を応援するかというと、しいて言うと日本とアメリカと思うが、特にこだわっていない。日本で育ったから、日本人が活躍すると嬉しいが、昔日本で観戦していた時ほどの祈るような感覚はなくなった。
一方で、アメリカ人選手がメダルを取ると確かに嬉しいが、ああまた取ったか、という気分で、むしろ国土も人口も少ない小国の選手がアメリカ人選手に勝ったのを見るともっと嬉しく、観戦のしがいを感じる。
人口が多く、選手育成に資金と設備が整っている大国では、優れたコーチだけでなく代表選手の質自体、全国の相当数いる中の最も優れたエリートなわけで、必然的にレベルが高い。アメリカに移住して住んでいると、勝って当然のアメリカ人選手が小国出身選手に負けるのを見るのがより楽しいという、天の邪鬼的観戦をしているのである。
日本対アメリカ、中国、ロシアなど大国の試合を見るときでも、そういう理由で、日本が勝つと嬉しい。逆だと当たり前のようで味気ない気分になるのである。
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アメリカの球場での野球観戦は、日本のそれとは異なる点がある。
日本の球場では、応援団がトランペットや太鼓で盛り上げ、観客もメガホンやビニール傘や風船などで参加し、大きな音でにぎやかである。しかしアメリカでは、応援団は通常いない。
楽器による応援もない。選手別の応援歌もない。ではアメリカの観客は球場で何をするかというと、見ているだけである。日本のに比べずっと静かである。ヒットやホームランが出ればもちろん歓声がすごいが、何もなければ静かなものだ。
日本とアメリカでプレーの経験があるプロ野球選手は、その観客の態度の差、うるささに大きなギャップを感じているはずだ。
さらに日本の球場では、観客が野次や選手名を叫ぶ場合がよくあるが、アメリカではそれは比較的少ないのではないかと思う。
ちなみに、ホームランボールだけでなく、ファールボール、そしてイニング終了時のボールは、取った観客が持って帰る事ができる。
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アメリカに住んでいて、個人的に最も嫌な英語の言葉がある。
それはI don't knowだ。多くのアメリカ人が普段の会話でこの言葉を頻繁に使用する。
思うにそれは、日本人が「分からない」と言う頻度の比ではないくらいかもしれない。
会話をしていて、質問が分からなければ仕方ないわけだが、彼らはまるで口癖のように気軽に多用する。
あまりにも多くI don't knowを会話の端々に入れてくる人がいるが、こちらとしては全く知らないであろうことをあえて聞いているわけではなく、相手の仕事の担当上知っているであろう、もしくは知っているべき事柄を聞くわけだ(それは日常生活での会話でもほぼ同じ感覚だ)。そのためI don't knowを多用してくると、そこで話がいったん終了するだけでなく、知っているべきことを知らないならそもそもなぜ知らないのかと、相手の緩慢さ、怠惰、 責任転嫁、無責任をいった態度を感じ悪印象を抱きかねない。
日本語でも、質問されて「わかりません」、だけだと話が終わりかねないが、「わかりません、でも~なら分かります」など、それに関連する自分の知識や意見を続けて述べると会話のキャッチボールは続き、質問の答えにつながる手がかりを共有することが出来る。私の周りのアメリカ人は、それさえない人がよく目に付くため、I don't knowという言葉を毛嫌いするようになったのである。
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アメリカで仕事をしていて感じる事を書いてみる。一般的に感じるのは、アメリカ人は日本人よりも滅私奉公の精神がずっと低い。人によるとはいえ、定時になればさっさとみんな帰る。明日は明日と、要もないのに残業もしない。帰宅後は頭のスイッチが切り替わり、仕事の事は忘れ去り新たに一日の後半が始まる。
キリスト教の教えにもあるからか、労働は苦痛と同義と感じる人が大半で、定時になると平社員も上司もさっさと帰る。上司が先に帰る事も当たり前だ。サービス残業など考えられない環境である。
その分仕事中はプロとしてがむしゃらに結果を出す。その仕事のスタンスは、日本人はまるで長距離走者で、アメリカ人は短距離走者のようだ(あるアメリカ人は日本人程完璧主義ではなく雑なため、早く仕事が終われると言えなくもないが)。そんなアメリカの環境で私も仕事をするので、仕事後、そして週末は仕事以外の事に十分な時間を取っている。
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アメリカ人の多くは、写真を取る際、ピースサインをしない。多くの日本人はピースサインを時に両手でする程、それは浸透しているが、アメリカ人でそれをする人は少数派だと思う。では彼らはどんな風に写真に写るかというと、「笑顔」である。左の写真の様に、ただ笑顔である。ピースサインや、どこか遠くを指差したり、コマネチのポーズなどをしたりはしない。
それが作り笑いが本心かは置いておいて、実際出来た写真を見ると、むすっとした顔の写真より、またいつでもどこでもピースサインであるよりかは、ただ笑顔で映っている写真もまた、美しく、心が和むようにも感じる。
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握手について書いてみる。アメリカでは初対面時には必ず握手をする。スキンシップがまず最初に加わるので、日本のそれよりも打ち解けやすくなる。日本はお辞儀だけで互いの体が一部分でも触れる事がないので、目に見えない境界線が互いの間に立ちふさがり、打ち解けるまでアメリカでのそれより数段下の階段から上がって行かねばならないような感じすらある。
そこに敬語が加わる。英語には敬語がないので、言葉によるよそよそしさの壁もない点、打ち解けやすさにスピードが増す。(だからアメリカで初対面で何歳ですか?と聞く必要もない。むしろ聞くとかなり失礼になる。)
握手する際の注意点は、やむを得ない場合を除き左手でしない事、同時に目を見る事、多汗症の人にはつらい事、とても汚れている手でも握手をしてくる人がいる、などだろうか。
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ニューヨーク北部の私が住んでいる地域では、家の敷地の一角に、たいてい写真のような物置小屋が併設している。これは車のガレージではなく、いわゆるShedと言われるものだ。
中に何が入っているかというと、その大半は日曜大工用の大量の道具で、他に芝刈り機、自転車、モーターバイク、スペヤタイア、カヤック、子供用の屋外用おもちゃ、クラフトスペースなどがある。
たいてい壁から天井にかけてドライバーやペンチ、水平器、枝切りはさみ、くぎ、ねじなど様々な道具が所狭しと掛けられており、男の臭いものばかりあるものだ。大きさは写真のような6畳程度のものから、10m四方はあるほどの大きなものもある。ホームセンターに行けばこれが売っているところもある。
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アメリカでの有給休暇の考え方について書いてみる。彼らはとにかく有給休暇をよく取る。日本では周りに気を使ってしまい、また誰も取らないならなおさら休みにくいかもしれないが、アメリカでは後ろめたさはほとんど感じない。使わねば損であり、勝ち取った権利として考えている。
2週間まるまる休んだり、木曜が祝日なら金曜に有給とって連休にしたり、月曜を有給として休んだり大いに使う。よほどの重要な会議や商談でもない限り、上司も部下もどんどん消化し、後ろめたさもへったくれもない。
休めば残された者がより忙しくなるのは承知の上で、かつ皆が有給を全て消化するようにしているので、その期間の対応は誰も慣れたものだ。他人を気にして自らの権利を行使しない、という発想は彼らにないのである。当たり前だが、気持ちがよい。
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アメリカでのピザ配達は、日本でよく見る三輪バイクによる配達とは異なる。一般的にアメリカでのピザ配達は、車である。しかも普通の一般車で、タクシーのように車の屋根に、そのピザ屋の名前を記した小さな看板をつけているだけのパターンが多い。
今まで見てきたアメリカでのピザ配達の車は、たいていこ汚く、見るからに中古車で、配達者も私服が多く、ピザをポン、と助手席において音楽を爆音で流して配達、のようなパターンも多い。
配達料はピザ料金プラス数ドル上乗せされる場合が多く、注文から30分以上経って届けられなければタダ、などの割引はほとんどない。客からすれば、早くうまいピザが食べられれば、配達者の車や身なりはどうでもいい、といったところだ。
週末はこのピザ配達の車をあちこちでよく見かける。日本のそれよりもきっと多いと思う。金曜の夜、家で映画を見る際に、また週末に家族親戚、友人らを呼んで パーティーや誕生日パーティーを行う際など、週末や人が集まった時に食べるもの=ピザというほど、ピザを頼む人が大変多いからである。
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