アメリカの親も、子供に習い事をよくさせるが、一つ気づいたことを書いてみる。それは、日本のそれよりも、空手教室に行かせる親が多い気がする。確かに、
私の自宅周辺は郊外の田舎であるが、空手教室が10個程度はある。柔道、柔術、少林寺、テコンドーもあるが空手教室は中でもよく目立つ。規模の差こそあれ、人口数千人~数万人程度の小都市でも、そのメインストリートや店が立ち並ぶプラザなどで、何とか空手、と大きなサインを掲げた教室をよく見かける。各教室の師範、生徒ともたいていアメリカ人だが、これまた何とか流と、日本人名もしくは日本語を冠した流儀をそれぞれ持っている。自宅近くにも極真空手の何とか流との教室がある。
なぜ多いのか。はっきりとした理由は不明だが、小都市にもいくつもあることから、割と需要はあるようで、日本のように習い事のトップに来る水泳、野球、サッカーのほか、空手もその選択肢によく入る。どちらかというと、小さいうちはコンピュータや機械いじりタイプでなく、まだまだ体を動かせたい、動かしたいと思うアメリカ人も多く、日本発祥の格闘技イコール、クールと思う人が多いのも背景にあるかもしれない(なお相撲教室は近場にはない)。また私が思うように、多民族国家のアメリカで住む以上、より起こりやすいと思われる様々な考え方価値観の相違や人種差別、いじめ等に因る暴力、傷害、その他犯罪(昔に比べれば減った気がするが)に対抗する正当防衛手段として、アメリカで空手を習わせるのは、単に習い事で技能を修得するだけでなく、安全に暮らせる基盤を作る意味でも悪くはないと思う。自分の身は自分で守るの意識が日本より強いアメリカだから、空手が繁盛しているのかもしれない。
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私達の家族は、2時22分などゾロ目の時刻になると、心の中でお願い事をする。車の運転時や、コンピュータのデジタル時計などでゾロ目の時刻を見つけると、家族の誰かが222!等と知らせてくる。そして何か1つお願い事をする。
これはアメリカ人ならだれでもする、というものではないが、いつの間にか習慣になっている。また昔息子の七五三に日本に帰省した際、お寺の神主さんが、神様にお参りする際はお願い事のみを言う方が多いですが、何かお願いする前に、これまで元気でいられてありがとうございますとか、幸せで過ごせてありがとうございますなど感謝の気持ちを伝えてから、最後に神様にお願い事をするといいですよ、とおっしゃったのを今でもよく覚えている。
それ以来、私達の家族ではゾロ目の時刻になると、まず神様に感謝の気持ちを述べてから、何かお願い事を心の中で伝えるようにしている(これは自宅周辺に神社仏閣がなく初詣も出来ない環境であるので、普段からゾロ目の時刻に言う事で代えるようになっていったのかもしれないが)。
私達は無宗教信者だが、これを習慣化していることで心がほっこりするというか、忙しい生活の中でも流されず穏やかな心に軌道修正できるような気がするのである。
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特に昔アメリカで永住し始めた当初は、自分の英語力の低さのためにいろいろと苦労した。例えば日本だと映画館に行っても、洋画では日本語字幕や日本語吹き替えがあり、気軽に楽しめたが、アメリカではそうは行かなかった。
日本では邦画に日本語字幕などない様に、アメリカでアメリカ映画を見ても英語字幕はない。勉強するつもりで映画館に臨んでも、2時間も集中力が続かず、内容について行けず不愉快な思いをしたことが当初はあった。
それからかなりの時が経ち、昔ほどではないものの、洋画を字幕なしで会話内容を100%理解することができるかと言えば、今でもそうとは言えない。
そんな時、聴覚身障者用に特別なメガネをかけて映画鑑賞できるよう無料貸し出しをしている映画館があるのを知った。それは、工場などで目を守るためにつけるようなメガネに似ていて、ややグラスが大きい。そしてグラスのやや下部に、英語字幕がその映画とシンクロしてリアルタイムに表示される。少し顔を動かし、映画のスクリーンの最下部に、メガネに表示される字幕が合う様にすれば、洋画の英語字幕による鑑賞が快適にできる。ワイヤレスであり、映画が始まれば自動で字幕が現れる。設定などは何もしなくていい。
初めてそのめがねを使用した際、それは感動的であった。映画の所々で「ん?」と聞き取れなかった場合でも、字幕で意味を拾える。おかげでほぼ100%意味内容を掴める事ができた。面白い会話のシーンでは、周りの客と同じタイミングで笑えるし、字幕から細かなニュアンスなども拾え、巻き戻せたらいいのに、等と思う不愉快な瞬間が激減した。
アメリカの映画館でチケットを買う際に、聴覚身障者用のメガネを貸して欲しいと一言言えば、別紙に自分の名前と住所の記入と引き換えにすぐ貸してくれる。健常者でも借りられる。
どの映画館でも提供している訳ではないが、アメリカに来て字幕なしで映画を観る自信がない人にとっては、大いに助けてくれるデバイスになるかと思う。
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アメリカの家の照明について書いてみる。アメリカの家の照明は、昼光色や昼白色の蛍光灯ではなく、電球色が一般的だ(職場は日本と同じく昼白色の蛍光灯が多いが)。白色で明るいものでなく、朱色というか、夕焼け色というか、温かみのある照明を使う家庭が多い。知る限りでも、周辺のアメリカの親族、友人知人の家のそのほとんどで、この電球色の照明が使われている。
その形も、日本によくあるような長さ1mくらいある棒状や、輪型のものではなく、電球型のものが多い。そして照明の場所だが、何個かの電球からなる天井設置型のシーリングライトもあるが、同様にスタンド型も大変多い。
リビングルームや寝室などでは、
設計上天井設置の照明自体がない家も多く、間接照明としてスタンド型のルームライトのみを使用している家庭が多いのも目に付く。
特に夜、家族が団欒してくつろぐ場所であるリビングルームこそ、天井からの白い明るい光があるべきと思うかもしれないが、たいていアメリカのリビングルームの照明は夕焼け色で、それほどテカテカしていない。照明が届かない箇所もよくある。リビングルームの角にある電球色のスタンド型ライトのみの場合が多いので、自然と気分が落ち着く。
そういえば、昔日本在住のアメリカ人の家々に行った際も、設計上元々ある天井の蛍光灯を用いず、電球色のルームスタンドを買って使っていた人が多かったのを思い出す。アメリカ人にとって家での照明は白ではなく、夕焼け色の間接照明をより好むのではないかと思う。これは慣れだが、そうした照明の中で暮らしていると、色の効果と言うべきか、昼光色の眩しいほどの部屋にいるよりも心が落ち着き、就寝への移行がよりスムーズにできていると思う。
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アメリカでは離婚率が高い。日本も高くなってきているがそれより高い。そのため、離婚後別の人と再婚したり、または内縁関係として一緒に住むケースがよく見られる。そして新たにまた子供ができたため、腹違いの兄弟や、父が異なる兄弟姉妹達が一緒に住む場合もある。もしくは内縁関係のまま結婚もせず、結婚しても子供も作らず、ただ一緒に住むケースも勿論ある。彼らの多くは、それぞれ前配偶者との間でできた子供が大きくなり独立した場合もあり、一人孤独に暮らすのではなく、新たな愛するパートナーと老後をともに過ごす。内縁関係のままの場合は籍を入れないので、女性は旧姓のままでいたり、前夫の姓のままでいたり色々だ。
このように離婚後(または死別後)、それが再婚にしろ内縁関係のままにしろ、別のパートナーと暮らす人が多いので、彼らの誕生日やクリスマス等の家族で過ごすイベント日には、それぞれの前配偶者との間の子供や孫たちも一堂に会することがある。現在のパートナーとの間に子供がいればさらににぎやかになる。
訪れた子供同士はまったく血の繋がりがなかったり、片親が異なったり色々で、幼い子供ならまだしも大きくなれば、やや居心地が悪くないこともない。
例えば私の妻の両親は離婚し、母は現在別の男性と内縁夫婦として一緒に暮らしている。イベント時には、母、娘(私の妻)とその家族である私と子供2人の他、内縁男性、その男性と前妻との間にできた子と、その家族である配偶者と子供3人が集まる。これで既に計11人になる。もし前夫、前妻にもっと子供がいたり、内縁の夫婦間に新たに子供がいたならさらに増え、大量のクリスマスプレゼントだらけで歩けないほどにもなる。アメリカのクリスマスは子供1人に何個もプレゼントをあげるためで、祖母の子供、その配偶者、孫たちにそれぞれ何個もあげる。子供から親にもあげる場合もある。両親が離婚した場合はもう一方の親の家にも訪れ、これらと同じ事がまた起こることもあるので、イベント時はあちこち移動して忙しい。
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アメリカの一軒家は、たいてい広い庭がある。私が住む郊外に行けばそれはより顕著になる。そして庭には、芝が広がっている。特に春になり暖かくなってくると、その芝が青々と美しく萌える。広い庭に芝生があると、気持ちにゆとりができる。隣家との間隔も日本のより大きい。天気のよい午後に庭の椅子に横になっていると、本当にのどかで、爺さん婆さんのように昼寝をしたくなってくる。
そして芝生があると必ずせねばならないのが芝刈りで、芝刈り機はエンジンの音が大きい。モトクロスバイクのエンジン音のようで爆音だ。これが天気のよい午後は自分の家のものだけでなく周辺の家々の庭からも聞こえてくる。
それはまるで、日本で言う田植え機の音や、ガタンゴトンと鳴る電車の音、通りの雑踏の音、せみの音等が、慣れてくると心地よく聞こえてくることがあるように、芝刈り機の音もそう感じることがある。何もない平和な午後に、芝刈り機の音が遠くから聞こえてくると子守唄のように感じることもある。
同時に、自分の家の芝が伸びてきているならば自分もそろそろしなくては、と気づく合図にもなり、まるで近所で布団をパンパンとベランダで叩いている音を日本で聞くのにも似た感覚にもなる。自分の家の芝だからと、伸ばしっぱなしはできない。近所やコミュニティーから苦情が出てくるからだ。
私が住む地域では、芝刈りは大体4月頃から11月頃まで行い、それを約週一回ペースでやる。25mプールが何十個も入るような数エーカーの庭のある家は大変だが、一般的な家の庭、25mプール数個分程度の庭だと一回1時間から2時間位芝刈りにかかる。椅子に座るトレーラータイプでなければ結構重労働であるが、終わった後は美しい芝生が広がり、草いきれのにおいもいい。個人的に、アメリカの芝は割と平和でのどかな象徴に近いものがある。
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