自然に囲まれたNY北部に住む日本人が、現地の習慣や価値観等、日本とのあらゆる違いを紹介します。アメリカ留学、移住、旅行等、アメリカに興味のある人向けです。

英語の嫌な言葉 続き

英語の嫌な言葉に、I don't know.があると以前書いたが、別にまだある。それはYou know what I mean?(またはYou know what I'm saying?)だ。時々これを連発するアメリカ人がいる。私の経験では黒人に多い気がするが、多用する人はとにかく頻繁に使い、一文に一回入れてくるほどだ。日本語で言うと、「言ってる意味分かる?」なので、複雑で理解するには難しい場合、意味分かる?、と助け船を出してくれる訳で、分からない、と返せばゆっくりと噛み砕いて言い直してくれることになる。
基本的には親切心でその言葉を言ってくれているのでありがたいのだが、しばしばそう思えない使い方をする人がいる。つまり、リズム取りで使うような人がいる。まるでラップでも歌っているかのように、ベラベラ話した最後にYou know what I mean?とつけてくる。別に難しくもない誰でも分かるような事を言ってきても、語尾にその言葉をつけてくる。リズム取りなら、日本語でいうところの、はっきり言って、要は、えーっと、正味の話、などあるが、これらも別にいう必要はない。話し手のくせと言うか、スムーズに話すためのリズム取りである。
厄介なのは、You know what I mean?が疑問文であるため、分かっているかどうか一応聞いてきているので、聞き手は、はい、かいいえで答えねばならない。いちいち聞いてこなくても分かってるよ、という単純な内容でも返事をしなければならないのは鬱陶しく、そこで話の主導権が話し手にどんどん移っていく気がする。主導権が移る、という事は、向こうの好きなリズムで話がより展開されやすく、You know what I mean?がその後も出てくる可能性が高まる。分かる?分かる?と何度も聞かれると、頭でリズム取りや親切心と分かっていても、バカにされているかのように感じいらいらすることもある。ラップのようにあまりにも言葉の端々につけてくる人に対しては、いちいち返事に付き合う気が失せ、返事をしないか、And?と話の続きを急かすかもしれず、できるなら話を切り上げるかもしれない。

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アメリカでの過剰包装

日本で買物をした際、贈り物用ならその場でたいていラッピングしてくれる。お中元、お歳暮などの贈答用、誕生日などのプレゼント用にラッピングしてくれたり、パンやケーキを買っても見栄えのよいラッピングにしたり、生理用品も見えないように別の袋に入れてくれたりきめ細かいサービスをしてくれる。
アメリカではどうかというと、一言で言えばそんな事はしてくれない。生理用品を買っても他の物と一緒に袋に入れられるし、贈答用にラッピングなどはしてはくれない。もしアメリカのレジで支払いをする時、これは誕生日プレゼントにラッピングしたいのだが、と言えば、ああそう、包装紙はあっちで売ってるよ、と言われる可能性がある。
クリスマス時期など、大きな百貨店やショッピングモールなどに限って言えば、臨時のラッピングサービスコーナーが作られることがあるが、それはかなりまれで、アメリカでは基本ラッピングは自分でやり、店員はしてくれない。たいてい買物する際にラッピングペーパーやリボンなども一緒に買い家で自分でやる。
そういうわけでラッピングを店員がしてくれる、という発想自体アメリカにないので、日本ではラッピングのサービスをしてくれることでたいてい驚く。さらにアメリカ人からすれば度を越したような、芸術的な素晴らしいラッピングをみれば、また驚く。だが同時に、二重三重の過剰なラッピングを見れば、彼らの多くは嫌がる。
特にケーキやパン、生理用品など、自分や家族用に用いるだけのものなら、芸術的ラッピングに感嘆するのではなく、無駄だからやめて、と彼らは言うだろう。日本に行った事のある私のアメリカ人の家族、友人は口をそろえてMostly wastefulと言う。アメリカのスーパーなどでは、買った品物を入れるビニール袋が置いていない店もあり、家からマイバッグやダンボールなどを持参せねばならない。それほど経費削減、資源の保護の観点で行う店が多いので、ラッピングはさらに無駄、という考えが浸透しているのかもしれない。

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バイリンガル同士の会話で興味深い事

私のオフィスには、二ヶ国語を話す部署がある。そこで働く人々は、私のような英語と日本語の二ヶ国語のほか、英語とスペイン語を話す人々がいる。たまたま彼らは私のデスクのすぐ近くなので、仕事中頻繁にスペイン語が飛び交う。
どちらの言語を母国語として育ったか、その環境によるだろうが、彼らの多くは母国語がスペイン語だ。そして個人的には、スペイン語のほうが英語よりも抑揚が大きく感じる。イタリア語にやや似た、歌を歌っているかのような音程差、強弱差がある口調で、とてもよく聞こえてくる(それに比べ日本語のデスクは大変静かだ)。
彼らが何を言っているのかはさっぱり分からないが、近くで仕事をしているといくつかの単語の意味が分かってくる。満員電車で隣の乗客達の話を聞くようで、全く聞きたくはなく、言い換えれば仕事の効率を邪魔するほどよく飛び交い気が散るのだが、ふとした時に彼らの話を聞けば、少し面白いことが分かる。 彼らの大半はスペイン語が母国語であるが、彼らだけで会話をする時は、スペイン語だけかと思えば、時々英語も使っている。海外に住む日本人が会話をすれば、そのほとんどが日本語によると思われる一方、私の職場では彼らは割りと英語を使う。彼らが話をすれば、突然英語になる。そこは私もよく分かる。と思えばまたスペイン語に戻る。遊んでいるのか、と思う瞬間があるが、そうではない。聞けば、ベースは母国語で、場合により言いやすいほうの言語で話しているという。イメージは、車の運転していて、そのスピードを落とさず進むように、ある話やある単語を言おうとした一瞬、英語スペイン語両方が喉まで出掛かれば、先に出た方を発する、というわけだ。
スペイン語で話し続けていても、ある言葉を言いたい時に英語でひらめいたなら、一瞬止まって意固地にスペイン語での単語を思い出そうとせず、出てきた英語で走り抜ける感じだ。 特に彼らを見ていると、人の話を聞け、と言いたくなるほど、それぞれが機関銃のようにべらべら話し続ける。言った者勝ちのような感じがあるので、もたもた話して主導権を取られたりしないように、またご丁寧に母国語のみで話し続ける必要もないのか、とにかくうるさい。今日もまた、彼らのマシンガントークで気が散るオフィスに向かう。

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アメリカの卒業式

アメリカの高校、大学の卒業式はどのようなものか書いてみる。だいたい授業が終わる5月末か6月頃に行われ、学生はガウンに四角の角帽をかぶって卒業式に出る。一般的な卒業式では、体育館か芝生のある運動場で行われる。暖かい時期なので、屋外の運動場で行うことが多い。保護者も見に来る。校長先生からの話、主席、副主席の学生からのスピーチがあり、時に会社社長やプロスポーツ選手、作家などの著名人がゲストスピーカーとして出ることもある。とても和やかで楽しい雰囲気で、日本の厳粛な堅苦しい雰囲気はあまり感じない。
そしてアメリカ国歌斉唱し、卒業生一人ひとりに校長先生より卒業証書を手渡していく。自分の子供が呼ばれたら声援を送る親御もちらほらいる。呼ばれた本人自体、バク転して舞台に上がったり、ガウンの下に隠していたコスプレをさらけ出し登壇して、笑わせたりする学生もいる。これらが終われば卒業式はとりあえず終了で、角帽を一斉に空に投げる。卒業生の数によるが、数百人規模でここまで数時間かかる。そこから友人、教師、家族らとの写真撮影がだらだらと続き、仲のよい者同士や家族などで夕食を食べに行ったり、パーティーを開いたりする。
卒業式での曲であるが、吹奏楽部や軽音楽部などによる音楽演奏があるが、日本のように湿っぽい曲ではなく、明るい将来に向かって頑張るぞ、的なノリのよい曲が多い。卒業生達が歌うこともあれば、聞くだけの事もある。興味深いのは、卒業式定番の曲、というのはアメリカではない。日本で言う仰げば尊し、旅立ちの日に、贈る言葉、のような卒業シーズン、卒業式に皆で歌う定番曲がない。同時に湿っぽかったり悲しさが漂う曲は演奏されない。国民性の違いなのだろうが、もし演奏されても、ダンスしたくなるようなアップテンポの曲が多い。例えば、妻の卒業式には、ミュージカルのLetting goや、Green dayのTime of my lifeなどの明るい曲が演奏されたと言う。涙というより笑顔やジョーク、パーティー的雰囲気が満ちるアメリカの卒業式である。

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日本での思い出の店が閉まると知った時

日本の両親の実家近くにあるデパートが、来月閉店する。私が生まれる前からそのデパートはあり、小さい頃からよくそこで買物をし、多くの思い出がある。母がその寝具エリアで勤めていた頃、小学校で放課後まで友達と遊び、そしてその寝具売場の母に会いに行き、一緒に地下階で買物したり併設のうどん屋でご飯を食べさせてもらったりした。親友の母がそのうどん屋の従業員だったり、高校生になり当時の彼女がそこでバイトをしていて、よく食べに行ったりもした。
最上階にある中華料理店で、北海道セットなる料理を食べた際感動し、北海道ではこんな料理が普通なのかと思い、親にせがんで毎週連れて行って貰うのが楽しみであった。
TVゲームのドラゴンクエストの発売日や、行きたいコンサートのチケット発売日は、そのデパート前に朝早くから並んで買った記憶もある。母はいつもそこで私の衣類、靴、おもちゃ、書籍などを買ってくれ、家電や寝具もたいていそのデパートで買っていた。
小学5年生の時、週末に友達だけでそのデパートに行くと、担任教師にたまたま出くわし、子供だけで来るなとどつかれたこともある。初恋の恋人に誕生日プレゼントを勇気を出して初めて買ったのもそのデパートだ。
たくさんの思い出があるだけに、日本へ里帰りする時はいつも、そのデパートにも行って買物をしたものだが、閉店とは悲しい。聞けば、郊外に大型ショッピングセンターが出来、大半の人がそちらに流れたためと言われる。
同様に、家の近くの中華料理屋も閉店していた。それが分かった時は「えっ!」と声を出してしまった。数年前に訪れたのが実は最後だったのか、と思いをはせた。小学校低学年に、スイミングスクールの帰りに親が連れて行ってくれ、水の塩素で目が赤くなりながら、店内に流れる演歌が独特の雰囲気を出す中食べたのが最初で、渡米直前まで数えきれない程通った。そこの餃子と長崎ちゃんぽんはいまだ私の中で世界最強の味である。
海外に住む者としては、そうそう簡単に帰る訳にもいかないので、より歯がゆい。里帰り時に閉店してしまっていたと知るのもつらいが、来月閉店すると分かっていても帰られないのもまたつらい。海外永住する人には、同じような思いを抱く人がいるのではないだろうか。閉店するのが分かった上で、せめてもう一度そのデパートに訪れ、買物とともに、昔の数々の思い出の場所に行き納めをしてみたいものだ。

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アメリカ人とピザは、日本人で言うところの?

アメリカ人は本当にピザをよく食べる。どこにでもピザ屋はあるし、レストランでもピザはメニューにたいていある。誕生日パーティー、人が集まった時、各種イベント時にはピザが定番であるし、ゴミの日に通りを歩けば、ピザの空箱をよく見受けられる。
特に週末はピザを食べる家庭はかなりいる。週末くらい料理の手間から開放されたい、との妻方の意図もあるのだろう、夕食はテーブルの上にピザとペプシが占領し、暗い部屋で映画鑑賞しながらくつろぐ、というアメリカの家庭は多い。
私の家庭の場合、妻がベジタリアンで肉や魚の入った物が食べられないので、注文するピザはトマトソースにチーズとピーマンをトッピングしただけの、大変質素なピザである。正直飽き飽きしている。
また誰かの誕生日やイベントなどに行っても、高確率でピザが出る。イベントもしくは週末、イコールピザという式が成り立っている。アメリカに長く住んでいてたいていの事は慣れたが、これほどピザばかり食べるのは未だに鬱陶しく、きっとピザが出るぞ、と思いつつ誰かの家に出かける場合など、予想通りピザが出て、内心またか、と思いつつも、お礼を言い少し頂く。
ある時思ったのだが、日本食で言うと、アメリカ料理のピザは何にあたるのだろうか?それはきっとラーメン(もしくはうどん、そば、回転寿司)だと思う。近くに新メニューのピザが出来たり、新しいレストラン(たいていピザを扱っている)が出来たとなれば、話題になり繁盛している。それはまるで日本で近くにラーメン屋が出来、目新しさで行ってみるのとよく似ている。
アメリカのピザは日本のより安い。30センチ位のラージサイズであっても10~20ドルあれば買え、さっと食べられる。ピザ一切れだと1ドルか数ドルで売っており、忙しいビジネスマンや食事をとる時間があまりない時などはよくピザで済ますこともある。それはまるで回転率の早いラーメン屋や立ち食いそば屋のようだ。
ピザはアメリカ人のソウルフードであり、これからも事あるごとに食卓に出てくるだろう。 私はピザの味に飽きを感じやすいので、高頻度のピザ消費は微妙だ。ラーメン味のピザとかないものだろうか。

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