英語で会話する際、非常によく出てくる単語がある。以下にヒントを出しますので何の単語なのか当ててみてください。
それは大体若いアメリカ人が多用し、本来使われるシーンは感動した時、格好いいと感じた時、ほめる時、賞賛する時等であるが、それ以上に単なる相手の話への相づちや返答にもポン、と使われる。例えば「テストで100点取ったよ」と際の返答時や、バク転や何か拍手するほどの特技を見た際の返答に用いられる場合は本来使うべきシーンであるが、一方で「今日は晴れだよ」、とか「「買い物に言ってくるよ」等の返答時にも使う人がいる。
まるで大したことでもない時でさえ、気軽に用いられる印象があり、本来使われるべきシーン以外である、特に感動も格好いいとも思っていなくても、軽々しく単に返事をしているだけかのようにその言葉を用いられるので、本当にそう(感動したり格好良く)思ってその言葉を言っているのかと首をかしげる時もある。
その単語は、Coolである。日本語で言えば、すごい、である。また、上記のような場合だけでなく、本当に感動したり格好良く思う時であっても、いつもCoolを用いるのも味気ない。Coolだけでなく、Great, Wonderful, beautiful, Awesome, Super, Oh my God, Fantastic, Amazing, splendid, unbelievable, the best I've ever seenなど、いくらでも賞賛する際の言葉はあるが、ただCoolで置き換えて終わってしまう。日本語のすごい、に関してよく似た気持ちを抱く人も多いのではないだろうか。
純文学だけでなく様々な本や雑誌などを読めば、多くの語彙に触れそれらを自分の言葉として加えられ、表現がより多彩になると思うが、ともあれCool使用なしの日が出来たら面白いかもしれないと勝手に想像するほどである。
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アメリカでは献血が比較的盛んに行われている。場所はスーパーやレストラン、教会やショッピングセンター等の駐車場の一角に、献血カーが現れ、通行人が気軽に訪れ、すぐ献血出来るようになっている。
日時は人々がそれら商業施設によく訪れるのに合わせて、週末によく見かける。冬の雪が降る寒い日でも、献血カーをしばしば見かける。時間は混み具合によるが、たいてい30分程度で全て終わる事が出来る。
そして献血をすれば、通常何かをくれる。例えば、Tシャツだったり、コーヒーカップだったり、近くのコーヒーショップ、服屋、スーパーなどで使えるギフトカードだったり、ステッカーやボールペンなどの筆記用具など、いろいろもらえる。
地域のため、人のため、何か自分も貢献したいという、たいていの人が心の中で思っている感情を、献血では気軽に達成することが出来る。義理の母やいくつかの友人は昔からやっているが、妻のように子供が幼く乳をやっている時期でも献血に行っていた。人助けをするのはいい事だから、と惜しみなく献血をする。
一方で、献血の担当者から、結構頻繁に勧誘の電話がかかってくる。今週末どこどこで開催するから献血どうですか?、の勧誘が割りとしつこい。週末の予定はかなり事前に立て、たいてい埋まっていることが多いので、そうそう毎週献血のためだけに特定の開催地に出向けるわけではなく、何かの用事で出かけた際、隣接して献血カーがあれば、スキマ時間を使ってついでに献血したいスタイルだから、などと妻は言う。とは言いながらも、献血にはよく出かけ、ギフトカードなどをたくさんもらって来る。私は行かないけども。
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これは私の独断であるのだが、アメリカ白人女性の典型的な顔のようなものがある気がする。それは、ややケバくて、目元や口元に化粧をつけ、濃い茶色の髪の毛で、肌は白ではなく茶褐色で、オリジナルが白でも時に日焼けサロンで茶褐色にし、時に整形し、ナチュラルビューティーやすっぴんの美しさとは異なり、どこか人工的で造っていそうで、ヨーロッパのそれとは少し異なり、みずみずしさや清楚さ、素朴さはあまり感じない。
例えて言うなら、マライアキャリーやジェシカアルバのような顔だ。目元のアイラインは上下とも結構つける。美しいが、自然な美しさはあまり感じない。すっぴんや、あるがままに近い顔ではない。そのため、アメリカ人か他国か二者択一をするならば、勿論完全ではないが割と判別できそうな気がする。
同じ白人でも、何となく人工的な印象がする場合、もしかすればアメリカ人かもしれない、と思えてしまう。
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アメリカでは養子縁組がよく行われる。日本では年に数百件ほどだが、アメリカでは10万件以上の養子縁組が行われると言われる。アメリカに住み始めた数年は、結構養子のケースが身近で多いな、と驚きはあった。
実際、私達の友人にも養子である人も多い。アメリカ国内での養子縁組だけでなく、韓国で生まれ、アメリカ人夫婦に引き取られ養子となった人や、他にもエチオピア、コンゴなどのアフリカや、インド、ベトナム、ヨーロッパで生まれた子供がアメリカの夫婦に養子として引き取られ生活する人などは、身近にたくさんいる。両親(里親)と子供(里子)で明らかに肌や髪の色が異なっていても、別に他人に隠すこともなく、養子なのだとして堂々と暮らしている。周りの人々も、取り立てることでもないように、普通に接する。
なぜ養子がアメリカでそれほど多いかというと、いろいろな状況があるが、多いのは実の両親が貧困であったり、アルコール中毒や薬物常用者であったり、母子とも健全な生活を送るのが難しい場合があり、同時に彼らを支援する養子縁組を斡旋、支援する団体がアメリカで以前から活発に行われてきたからとも言われる。
また、日本のような単一民族が住む国家でなく、アメリカはもともと人種のるつぼである多民族国家である性格から、世間の受け入れも比較的スムーズに行ったのかもしれない。私達夫婦は、昔子供がしばらくできない時期があったが、その際妻は養子を受け入れるのはどうか、と気軽に提案してきたくらい、日本人よりもより身近に養子について感じている気がする。
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数年ぶりに日本へ帰ると、当時の学生時代の友人と話が咲く。数年間どうだったかの近況を話すほか、学生当時の思い出話などをする。アメリカに永住してかなり経つ私にとっては、日本での思い出は基本的に渡米以前のものである。それ以降のこと、例えば現在の流行語や有名人、人気の商品など、今日本で住む日本人が普段の会話で出しているそれらを、私はたいてい知らない。
だから久しぶりに旧友と会う際、今流行っている物事を彼らが言ってきても私は基本分からないし、一方私が用いるネタはかなり古い。例えば、宮路社長のように現金主義だから、と言ったり、スタンハンセンがレスラーで一番最強だ、と言ったり、クロマティーのような構え方だな、と言ったり、タケちゃんマンみたいなハロウィンコスチュームと言ったりするなど、渡米前で基本止まっているのでそこまでが私にとって一応最新の部類である。歌手のアンジェラ・アキも、10年振りにアメリカから帰国すると、オバタリアンなど一昔前の言葉を使っている事をツッコまれた、と言う。日本の最近の流行を言いたくてもよくわからないので仕方ない。
一方旧友たちにとっては、昔の記憶の引き出しを探して時間がかかっているような思い出話や、当時の流行のネタがあっても、それらは私の渡米前の情報に時期が近いので、比較的すぐ答えられる。だが彼らは、よく覚えているなー、とか、すごいところ突いてくるなー、などと、昔の話の私の詳しさにたいてい驚かれるが、私が記憶力が凄いのではない。毎日彼らは日本の最新情報に触れ、古い情報はどんどん記憶の後ろに押しやられるかもしれないが、私にとっての日本での情報は、渡米時までがメインで、アメリカ在住年数分、日本関連は容量が少なく済み、これからも日本関連の情報は彼らと同じペースで増えないだろうから、時代遅れというか、タイムスリップして未来に来た人間と話しているようなものかもしれない。
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子供の時分は親や友人らに誕生日を祝ってもらい、プレゼントを貰うが、大人になり、家庭を持ち子供もできれば、それは子供のためだけと、自分の誕生日を祝うことがなくなっていく。しかしアメリカでは、大人になっても比較的誕生日を祝う。親類や友人を集めて、まるで子供のとあまり変わらないような誕生日パーティーをする人が多い。もともと人が集まりわいわいがやがやするのが好きなのか、アメリカ人は特に理由もなくパーティーをするくらいなので、年を取っても誕生日は格好のパーティーとなる。
当然、誕生日プレゼントも然りで、たいてい贈りあう。贈る相手である自分の両親、叔父叔母、いとこ兄弟、祖父祖母、友人らがもう50,60代になっていても、贈ろうとする。よくあるのはギフトカードや、現金、花束、ビール、ワインなどをバースデーカードとともに送るのだが、そういうありきたりでいいけども、中には今流行っているものや、これから流行しそうなもの、珍しいもの、オォー、と感心するような誕生日プレゼントを贈る人もいる。
贈る相手は大人なので、たいていの店で売っている商品は知っている。近くの店ですぐ買えるような物を贈るのは面白くないと、ユニークで発想がなかったような、クールな物を贈ってくれる人もいる。
例えば、ウェブサイト等で調べて、とてもよく落ちる洗濯用洗剤を作って箱に入れて贈ってくれたり、オーストラリア旅行した際に、上下逆さまになった世界地図を買って贈ってくれたり、アフリカ産の原住民の形をしたクリスマスオーナメントを贈ってくれたり、大便した後に使う大便専用スプレーだったり、自作のガラス細工で作ったネックレスを贈ってくれたり、見たこともないような味と香りのする紅茶の葉だったりと、どれだけ高価かではなく、どれだけ驚かせられるか、どれだけユニークで印象的か、をメインに贈ってくれる人もいる。受け取った方は、わざわざいろいろと考えて、こんなユニークな物を贈ってくれたのか、と感激することがあるし、そう思われたいがために、私もあれこれとプレゼント用ネタ探しのアンテナを広げている感覚で過ごしている。
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