自然に囲まれたNY北部に住む日本人が、現地の習慣や価値観等、日本とのあらゆる違いを紹介します。アメリカ留学、移住、旅行等、アメリカに興味のある人向けです。

海外永住者の私が見るマッサン

朝の連続テレビ小説「マッサン」が始まる。今までTVドラマに対して、始まる前から楽しみにしていた事等一度もなかったが、このマッサンには大変興味を持ち、毎日楽しみにしている。
単なるTVドラマとして、例えば日本初のウイスキー作りを行った主人公の生き様や、私の出身である関西が舞台に出る、といったことも理由ではあるが、最も大きな興味を引くのは、主人公の夫婦がまるで私と妻のように感じる点だ。私は日本人男性で、妻はアメリカ人女性であり、大阪で知り合い、日本で結婚し、二人で渡米した。親に大反対され、大きな不安を抱えつつも、同時に自分達の前に広がる無限の可能性に駆けた結婚当初。マッサンの予告編を見た瞬間、懐かしさに似た気持ちとともに、当時の若い私たち夫婦の姿をそこに垣間見た気がした。
エリーが日本で適応しようと一生懸命頑張る姿、夢を追いかけ仕事に没頭するマッサン、そしてマッサンの両親、心強い友人、ご近所さん、心の熱い仕事仲間など、ドラマに出てくるこれら登場人物を、まるで私と妻、周りの人々に当てはめて見ている自分がいる。当時妻が私の両親に初めて対面した時も、ドラマのエリーようにハグを仕掛けたが、私の母は「何するのよ!、結婚など許しません、出て行きなさい!」、とそれはもうマッサンの母、泉ピン子のように拒絶し、私の妻もエリーのように泣いたのを覚えており、懐かしさによる笑い、またあまりに私の母に似た泉ピン子の言動に私達一同笑ってしまった。
夫婦のやり取りも同じく、一般的な日本人男性として朝から晩までがむしゃらに働く私だったが、妻は夫も家庭を優先するのが当然と思い、夫婦として互いに望む役割分担に当初は違和感を感じたものだ。マッサンで出てくるような夫婦喧嘩も、あるある!と思える瞬間が随所にある。まるで私たち夫婦そのままのような大声を張り上げた言い合いや喧嘩をするだけでなく、国際結婚だからこそ余計相手の心や文化価値観にも気を配り理解しようとし、根底に愛がある相互理解など、びっくりするほど随所で笑いや共感を覚えてしまうシーンがあり、親近感を持って見てしまう。
普通の日本人として、日本に住み、日本人と結婚し、普通に日本に暮らす人生も選択肢にあった。しかし今こうして遠い異国で住んでいる。私と妻は、このマッサン達と大体よく似た思いを持って、母国に残した両親に望郷に似た気持ちは残しつつも、夢に向かい頑張っているのだ、という事を再認識させてくれ、この人生でもあながち間違いではなかったなと、背中を後押しさせてくれるような気にこのドラマはさせてくれる。国際結婚した夫婦はこういう風な生活送っているのか、とか、こういう価値観考え方のもと頑張っているのか、など多くの方に理解してもらえれば、そういう生活を送っている私達夫婦にとっても何だか嬉しい気分になる。
そして今から100年ほど前に既に日本人男性と外国人女性が結婚し、夢に向かって頑張られた大先輩夫婦がおられたのか、という事実が、私が遠い異国で望郷心で寂しくなったとしても、自分の人生は間違っていないと、そしてよし、また頑張るか、とまた一歩踏み出そうという気にさせてくれる。なぜならこのご時世、国際結婚する人が多くなったといえ、それを実際行いかつ異国の地で永住する者の身としては、なぜ外人と結婚するのかとか、なぜあえてそんな困難な道に進むのかとか、どこかアウトロー的に見られたり、もし離婚すればそれ見たことか、と自分たち夫婦だけでなく国際結婚した事実も咎められそうで、そのプレッシャーに似た気持ちは未だいささか心のどこかにあるからだ。
そういった、登場人物に自己投影でき、国際結婚夫婦の認知と理解が進む期待、そしてこれからの海外生活でも背中を押してくれるような大先輩がいたという事実、こうした理由があるので、私にとってマッサンは、単なるドラマを見るとはまた違った意味で楽しみにしているのである。

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アメリカの6月に大量に空中を舞うもの

私が住むNY北部では、毎年5月から6月頃にかけて、Cottonwood(コットンウッド)の種子が飛んでくる。
それはまるで粉雪のようでもあり、タンポポの綿毛のようでもある。大きさはいろいろだが、2, 3センチ位であり、いくつかがくっついてゴルフボールのようになっているものもある。
軽くふわふわの白い綿毛で、とにかく大量に空中を舞っていることもあり、雪が降っているように視界が見えづらいほどの日もある。あまりにその数が多いので、 外を歩いていれば口に入ったり、髪の毛や服に引っかかったりする。庭の芝生には白いカーペットが出来ているような時もある。ただ軽いため風によく吹かれ、 道の両側や袋小路などに大量にコットンウッドの綿毛が堆積し、汚らしく思う事の方が多い。一方で軽いので雪かきのように面倒な作業は要らず、夏が来て本格的に暑くなる頃には、土に溶けるのか、跡形もなく消えてしまう。
コットンウッドの木は、枝に葉と同時に綿毛がたくさんついているので白っぽく、他の木々と見分けがつきやすいが、この時期以外では他の木と見分けがつきにくく、普通の木とあまりかわらない。
天気のよい日には、私は自宅の裏庭で布団や洗濯物を干すが、このコットンウッドが舞うと煩わしさを感じる日がある。小さい子供は捕まえようと四方八方に走って喜ぶこともあるが。

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アメリカ人の平均引越回数

アメリカと日本では、仕事に対する捉え方が多少異なっているように感じる。個人的印象では、いまだに日本では仕事には滅私奉公で、基本的にいったん就職すれば定年まで同じ職に就こうという風潮があるかと思う。辞めたくても、もし辞めれば次の中途採用がなかなかされにくいので同じ会社に留まる人も多いのではないか。
アメリカでは、もっとフランクというか、自由であり、嫌だと感じたり、より良い待遇の職があればすぐ転職をする。世間も、中途採用に好意的で、大卒新入社員採用よりも即戦力になる中途採用も思いのほか多い。ヘッドハンティングもよくあるし、自ら気に入った会社に売り込む人も多い。様々な不満を抱えつつも同じ職場にいるよりは、いいところがあれば中年でも、管理職に就いていても転職する。
そのためか、同様に引越しもよくする。日本だといったん家を買えば、生涯同じ家で暮らし、子にも相続させてあげようと思う人は多いが、アメリカではそういう価値観は日本より低い。いい職が遠い他州であれば、家もさっさと売り払う。転職でなくとも、単により良い家が見つかれば引越しをする。職も家も、より良いものを探し続ける狩人のようだ。
突き詰めれば、大昔にさかのぼり同じ場所に定住する農耕民族と、より良い獲物を探し求める狩猟民族のようで、人の深層にある根本的価値観の違いに端を発するかもしれない。
ア メリカでは、生涯に平均しておよそ15回引越しをするといわれる。育ててきた近所付き合いを大事にするとか、詳しい地元の土地勘を無駄にしたくないとか、 生まれ育った地域だからとか、親や親族が近くにいるとか、住宅ローンが残っているからとか、新天地に慣れるまでの心労とか、そんなことよりも、より主観的に、より良い職に就職したための引越しとか、より良い家、より良い学校地区、より理解出来うる税金額の地区、気候がいい所、家族の成長に合わせより大きい家、小さい家に引っ越すなど、自らをその場所に縛りつけられているような呪縛的感覚はあまりなく、思い立ったが吉日的に、どんどん引越しをする。
勤続40年の大ベテランも周辺にはいるが、それよりも他の会社に転職したり、どこかから転職してくる人も、私の会社では多いし、家の近所でも、引っ越してきたり、引っ越してどこかに行った人も定期的に起こる。アメリカは日本よりももっと人の流動性がある。

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表札をつけないアメリカ


アメリカの家には、表札がない。家の前に着いても、そこに何という人が住んでいるかまったく分からないのが通常だ。日本だと大理石や木などでできた表札に、住居者の名前、時に住所までご丁寧に記載されているので、アメリカのそれと好対照である。
アメリカの家のポストの側面に、小さい字で氏名を書いている場合があるが、それも必ずではなく、またポストの蓋を開けた中に氏名を書いている場合もあり、やはり外から一見してその家の人の名前を判別するのはたやすくない。アパートでも同様だ。
ではどうやって判別するかは、ストリートナンバーから判断するしかない。アメリカの家には、その正面ドアの上部か左右等に、大きな番号が表示されている。 25、とか1677など、その家のストリートナンバー(道番号、番地のようなもの)が遠くからでも分かるように貼り付けられているので、訪問先の家がどれか識別するのは、氏名のある表札ではなくその番号を頼りに探すしかない。もちろん日本のように表札をつけても結構だが、郷に入りては郷に従え、のごとく私の家にも表札はない。ポストにも氏名を書いていない。ただストリートナンバーを表示しているだけである。

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アメリカ人の仕事での即決力

よく揶揄されるブラックジョークに次のようなものがある。日本人アメリカ人イギリス人が沈没する船に乗っていて、海に飛び込むのを躊躇している人に向かって、イギリス人は「海に飛び込めば紳士になれる」と言い、アメリカ人は「ヒーローになれる」と言う。一方日本人は「上司に相談させてください」というものだ。これにややよく似た状況を、仕事中に感じることがある。
アメリカ人達と会議をする際、なかなか難しい状況やトラブルがあったとしたら、彼らは解決法への最短距離を考え即決したがるところがある。「よし、それで行こう。」と言わんばかりに、ゴール一直線の明快な考え方が多く、会議時間も比較的短く済む。
もしこれが日本人相手だったら、と思うと、そうは行かないだろう。私には分かりかねるので上司に指示を仰いでから、とか確認させてほしい、などとその場では決まらない場合が多いのではないかと、日本でのサラリーマン経験から推測できる。日本から駐在で来ている方も、口をそろえて大体同じような事を仰る。日本だと決定にこぎつけるまで、稟議書、提案書など様々な書類資料を作り、多くの上長、上司の承認を経る必要があるが、アメリカでは口頭で即決で決まるんですね、等と言う方もおられる。アメリカ人が、彼らの上司の判断が必要な場合でも、会議中にすぐ電話し、OK、と返事をもらい決定したり、Approved.とメール一本で返答、即決することを何度となく見てきたので、こちらとしてもその即決力、即断力に助けられたケースも多い。
石橋を叩いて渡るというような、様々なケースを想定して外堀を埋めていくようなほふく前進戦術、というよりは、ズドーンと一直線の道ができ、その後にもし問題がでたら都度調整、というようなスタンスがアメリカに近いような気がする。

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ない物ねだりをするアメリカ人

ない物ねだりをするのはアメリカに住んでいても見受けられる。例えば、高い鼻が嫌だと低い鼻に整形する人や、アジア人の綺麗な黒髪に惹かれて、金髪を真っ黒に染めるアメリカ人もいる。また胸が大きすぎると手術をして小さくする人がいる。日本と逆で興味深い。
日本だと鼻が平たく低いと、格好悪いから欧米人のような高い鼻に憧れる人が多いかもしれぬが、アメリカでは大体逆の発想だ。かなり高いわし鼻は格好悪いとして、小さい鼻に憧れ整形手術する人もいる。日本だと欧米人に憧れ金髪や茶髪に染める人が多いが、アメリカでは逆に綺麗な黒髪に憧れる人が多い。
ところで私が教えている日本語レッスンの10代の生徒のなかには、日本のビジュアル系音楽が大好きで、それがきっかけで日本に傾倒し、日本語、日本の音楽、 雑誌、流行などに夢中の子がいる。昔と違ってインターネットでそれらを瞬時に触れることができ、彼女は私より日本のニュースや流行に詳しいほどだ。
自分の国に嫌気が差したので他国に興味が向くのか、そうではなく単に自国にない何かに憧れやかっこよさ、居心地のよさ気持ちよさ等を感じられる何かがあるのか、人によるが、その日本語レッスンの生徒のように本人自身に強烈な興味や動機があるので、日本語の理解度はすこぶる早い。楽しんでいるのがわかり、私が話す日本関連の話にはいつも目を輝かせて聞いてくる。一方興味もなく「いやいや」なので日本語理解が遅い、来年急遽日本に行かねばならないと言うことで教えている30代のアメリカ人男性とは好対照であるが。

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祝いたがりのアメリカ人

アメリカ人はよく祝うのが好きだ。彼らは比較的パーティー好きで、ただ理由もなくわいわいやるだけでなく、何かを祝うためのパーティーももちろんよくあるわけだが、祝うその理由がユニークなことがある。
例えば、誕生日の半年前にパーティーをしたり、誕生日1ヶ月前パーティーをする家庭もある。また結婚10周年、20周年など、節目に当たる年に、再度同じ配偶者と結婚式やパーティーをする夫婦もいる。
子供が小さい場合は、クリスマス1ヶ月前からクリスマスイブまで、毎日朝起きてすぐ、本など何か1つ小さなプレゼントを与え続ける家庭もある。
誕生日半年前パーティーをする家庭では、まだ半年前ということでバースデーケーキが最初から半分で登場したり、バースデーソングに半年前の文言を加えて歌ったり茶目っ気のあるパーティーをする家庭もある。曜日は金曜日の夜か、週末祝日が多いわけだが、その日にうまく目的の日がかち合わなければ、誕生日半年前+2日前パーティーなどとかなり無理のある名目で人を誘う人もいる。もちろん、名目などなくただパーティーを頻繁にする人もいる。
そういうイベントの日に対して、参加する方も、義務的にいやいや、面倒臭く参加というよりは、人とにぎやかに楽しい時間を過ごしたいというお祭り騒ぎ的気質が根底にあるからか、堅苦しさもさほどなく、都合が付けばさらっと参加するものだ。
何かと祝ったりパーティーをしたりするのは、通常の生活にメリハリや人との繋がりをさらに感じられて楽しいものである。

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