アメリカ永住の子供に日本語を学んでもらう理由 その1
そこで私が今でも悩ましく思うのが、彼らに日本語を学んでもらう大きな理由が見つかりにくいことだ。
子供が大人になり、英語と日本語の両方を読み書き/聞く話す全てで使いこなせるよう、そしてアメリカ国内のみならず、日本で将来仕事をし住むという選択肢を持たせてあげたいという親心から、私は子供に日本語を教える。
しかし子供にとってみれば、物心つくまでは素直に学んでくれても、反抗期頃になれば、なぜ日本語を学ばねばならないのか、と反抗してきやすい。アメリカに住んでいるのだから、日本語など学ばなくてもいいじゃないか、と学ぶ以前の動機付けや目的意識が揺らいでくる。
こちらとしても、将来子供が日本に全く関係ない仕事に就き、アメリカ人と結婚しアメリカに住み、日本と全く関わりのない人生を送る可能性が大いにあると分かっている。そのため悩ましく、教えても無駄になるかも知れぬ、と心のどこかで感じ、自分との根比べに似た気持ちで、教える側学ぶ側ともに本腰が入りにくい。誰かに言われてやるような外発的動機でなく、本人自身が目的を持ち自発的に行える内発的動機自体が沸かない場合もある。
子供の言い分には、読み書きはだめでも、親と日本語で会話が出来、意思疎通できているのだからそれでもういいじゃないか、と、会話力以上の日本語や日本(漢字の読み書き、日本語の小説や新聞を読めるほどの読解力や、日本史、古典文学、日本文化など)について学ぶ理由がないという。
その通りだ、と私も思うが、それでも親バカ心が勝り、役に立たない事を学ぶということは、言い換えるとずっと役に立つと言うことであり、すなわちリベラルアーツ(教養)であるのだ、とか、日本語をもっと学べば、日本にいる親族ともっと会話できるよ、とか、二ヶ国語話せるのはとてもクールだよ、とか、日本の面白いビデオゲームや漫画を楽しめるよ、とか、日本旅行した時もっと楽しいよ、とか、もし今後日本人の恋人ができたら、もっと意思疎通できるよ、とか、取って付けたようなアメリカでの普段の生活には全く影響のない(弱い動機にしかならない)メリットを伝えて誘惑する。次回に続く。