自然に囲まれたNY北部に住む日本人が、現地の習慣や価値観等、日本とのあらゆる違いを紹介します。アメリカ留学、移住、旅行等、アメリカに興味のある人向けです。

アメリカ永住の私は、どちらの価値観がメインか

アメリカ永住してかなりの年月が経った。アメリカ移住当時の私がもし日本一色なら、今の私は日本とアメリカの2色が混ざっているような感じだ。永住年数がさらに経つにつれアメリカ色が強くなるかもしれないが、混ざって別の色しかないのではなく、心のどこか基盤となる奥底には日本色が決して混ざることなく存在している。
ハーフでなくダブルというか、二刀流というか、どちらの人とも考え価値観、文化が分かる。日本人と会う時は日本人としての私になり、 アメリカ人と会う時はアメリカ人としての私がいる。二人の私が時と場所に応じて自動で切り替わり現れるかのようだ。別の例えでは日本人という2つの眼に、 アメリカというメガネをかけ、必要に応じかけ外して暮らしているようだ。
一方で私は日本人であり、幼年期を日本で過ごしたのでコアな部分は日本人的な価値観である。なので先の例では眼は日本で、メガネはアメリカで、逆にはならない。地中の根は日本人で、枝葉は日本産アメリカ産が混じった木のようなものだ。
どちらにも対応できるが、反面どちらか純正100%の人間ではもうない。国籍は日本人でも、また外見も日本人でも、価値観考え方はかなりアメリカナイズされてきたため、生粋の日本人の感覚はない。しかしアメリカ永住しているものの、アメリカ生まれアメリカ育ちの生粋アメリカ人とは、また違う。自分という中で、アメリカ永住年数が経つほどアメリカ人としての占有率が高まるが、日本人としての何割かは生まれ育ったものとして絶対に消えない。いくらアメリカ人のみとの生活を今後続けてもそれは変わらないだろう。
なおそういうアイデンティティーがユニークなので、私の息子のように、ハーフの子供の中には私は何人で一体何なのか?と悩む人がいるのかもしれない。子供達には、日本アメリカ両方の言語や文化習慣を知っているので、あなたは(中途半端を意味する)ハーフでなく、ダブルであって、日本アメリカ両方とも母国であり、それはとてもラッキーなのだよ、などと思春期に悩まないよう、防波線を張るかのように小さい頃からラッキーなのだと何度も伝えてきた記憶がある。

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アメリカ永住の子供に日本語を学んでもらう理由 その2

前回の続き。アメリカに永住する以上、日本語を学ぶ必要性が子供になかなか生まれず、学ぶ強い動機や目的が定まらない。
最終手段は日本に留学させるしかないか、と思う時もあるが、子供がそれを望まないのならば親のエゴになりかねず、なかなか歯がゆい。外国に出て世界を知り、子供の人生に何かのプラスになれば、と思うがその「何か」がぼやけて確定しない。
日本語を学べば、同時に日本人としての良い部分、例えば礼儀正しさ、人を思いやる優しさ、和をもって尊しとする協調意識、物を大切にする、親や目上の人、自然や超自然的なものに敬意を払う、清潔感を持つ、責任感の強さ、時間を守るなど、概してアメリカ人より優れていそうな美徳も習得できると信じている。
これらは日本人の私と生活をともにすれば身につくと思うが、土台として日本語で話し、私自身日本人の観点価値観で接しなければならないと思う。
こうした性格や価値観を形成させうるものは目に見えず、概念的なもので、言って会得するものでなく私自身が見せて模範を作り体で会得させねばならず、単語を覚えて終わり、の作業とは異なり時間も労力もいる。
だが単なる日本語を覚える作業の先にある、こうした日本人的美徳も持ち合わせた、ハーフでなくダブルの人間になって欲しいと思う。
とはいえアメリカで生きていくために不可欠というほどの動機付けにはまだ決定打に欠けるが、日本人とアメリカ人のハーフの子供として、いつか子供が、父さん、日本語教えてくれてありがとう(おかげで~できた)などと言ってくれたら、私は泣いてしまうかもしれない。
その日を夢見て、少なくとも教える側である私は根気強くアメリカで日本語を教え、日本というものを子孫に伝え残そうとしているのである。

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アメリカ永住の子供に日本語を学んでもらう理由 その1

私のように海外に永住し、外国人とのハーフの子供がおられる家庭は世界にたくさんおられる。
そこで私が今でも悩ましく思うのが、彼らに日本語を学んでもらう大きな理由が見つかりにくいことだ。
子供が大人になり、英語と日本語の両方を読み書き/聞く話す全てで使いこなせるよう、そしてアメリカ国内のみならず、日本で将来仕事をし住むという選択肢を持たせてあげたいという親心から、私は子供に日本語を教える。
しかし子供にとってみれば、物心つくまでは素直に学んでくれても、反抗期頃になれば、なぜ日本語を学ばねばならないのか、と反抗してきやすい。アメリカに住んでいるのだから、日本語など学ばなくてもいいじゃないか、と学ぶ以前の動機付けや目的意識が揺らいでくる。
こちらとしても、将来子供が日本に全く関係ない仕事に就き、アメリカ人と結婚しアメリカに住み、日本と全く関わりのない人生を送る可能性が大いにあると分かっている。そのため悩ましく、教えても無駄になるかも知れぬ、と心のどこかで感じ、自分との根比べに似た気持ちで、教える側学ぶ側ともに本腰が入りにくい。誰かに言われてやるような外発的動機でなく、本人自身が目的を持ち自発的に行える内発的動機自体が沸かない場合もある。
子供の言い分には、読み書きはだめでも、親と日本語で会話が出来、意思疎通できているのだからそれでもういいじゃないか、と、会話力以上の日本語や日本(漢字の読み書き、日本語の小説や新聞を読めるほどの読解力や、日本史、古典文学、日本文化など)について学ぶ理由がないという。
その通りだ、と私も思うが、それでも親バカ心が勝り、役に立たない事を学ぶということは、言い換えるとずっと役に立つと言うことであり、すなわちリベラルアーツ(教養)であるのだ、とか、日本語をもっと学べば、日本にいる親族ともっと会話できるよ、とか、二ヶ国語話せるのはとてもクールだよ、とか、日本の面白いビデオゲームや漫画を楽しめるよ、とか、日本旅行した時もっと楽しいよ、とか、もし今後日本人の恋人ができたら、もっと意思疎通できるよ、とか、取って付けたようなアメリカでの普段の生活には全く影響のない(弱い動機にしかならない)メリットを伝えて誘惑する。次回に続く。

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駐在員の暗黙のルール

アメリカに駐在して数年になるある方が、アメリカ人達と英語で流暢に会話されていた。その様子を日本から来られて間もない駐在員の方が、「すごいですね、 全然聞き取れなかったのですが、彼らは何と言っていたのですか?」と先輩駐在員に聞いた所、「それは聞いちゃだめだよー(笑)。」と言っていた。見た目は問題なくアメリカ人とコミュニケーションを取れていそうでも、帰国子女でもなくTOEFLで高得点を取った訳でもなく、平然を装い実は必死で、集中し頑張って会話しているのだ(ある方は、時には何を言っているかさっぱり分からなくとも、愛想笑いとオーバーリアクションで切り抜けているのだ)、と言う。そのため、先輩駐在員から後輩駐在員への代々伝わる暗黙ルールとして 、「アメリカ人が何と言ったか俺に聞くな」、というものがあるらしい。半分笑い話のような所もあるが、だいたい合っている節もあるとの事で、面目ないが先輩の俺も分からないのだから、そこは触れるな、という訳だ。
いつもいつも分からない訳ではないだろうが、酒の席等でそういう質問が着任したての方から出れば、場が一瞬凍り付く事もあるが、それは暗黙のルールだよー、と笑い話に変える先輩駐在員の顔を見れば、彼らの気苦労を垣間見る事ができる。

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メモリアルデーで思う事

毎年五月の最終月曜日はメモリアルデーで、軍人を讃える日で祝日だ。軍人戦没者の墓前や、軍人の家の軒先にはアメリカ国旗が掲げられる。そして各町ではパレードが行われる。今年も自分の町のメインストリートでパレードがあり見に行ってきた。パレードでは、その町出身の退役軍人が軍服を着て行進し、観客は敬意を表し立って脱帽し拍手をする。敬礼する観客もいる。
しかし日本人である私は未だに、少し心穏やかでない時がある。戦争で日本人を殺しているし、私の叔父達もガダルカナル島やミッドウェー海戦等で戦死した。もしかすれば叔父達を殺したのは目の前で行進している軍人達かもしれない訳で(可能性は低いが)、 パレードで国の英雄として彼らを心から拍手をするのにはためらいがある。
また第二次世界大戦時アメリカにいた日系人の待遇や、日系アメリカ人として日本と戦った兵士等、歴史をみれば暗い過去があり、今後もしもの事を考えれば、複雑な心境になる。
そういう気持ちは今も事実としてあるにはあるが、いつまでもそうは言ってられない。自分の国を守るために軍人として行動したのは日米どちらも同じであるし、 個々人を恨むのは筋がおかしい気がする。日本人を大量に殺しやがって、等と思うのではなく、単に母国のため戦地で命をかけて奉公した、という点に敬意を表して、軍人のパレードを今年も眺めていた。アメリカのメモリアルデーのように、歴史を学ぶ歴史の日等日本でもあればいいかもなと思う。

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この話術でアメリカ人に挑んだ結果

日本から来られる男性駐在員が、アメリカ人と話をする際に比較的よく見られるコミュニケーション方法がある。それは無意味によく笑うということだ。今までたくさんの男性駐在員を見てきたが、彼らのうちかなりの方が、まるで明石家さんまのようにすぐ笑う。正直なところ話の内容からして特に面白くはないが、ニコニコ、ニタニタと、時にハハハ、ガハハと笑う。彼らなりに場の雰囲気を温めたり盛り上げようとしているのは明らかである。
しかし何も面白いことを言っていないので、相手のアメリカ人はたいてい笑わない。ニタニタと、こいつは何が面白いのだ、と口には出さないが思っているアメリカ人のオーラを、私はひしひしと感じる。また歌手のAvril Lavigneは、日本人男性はニヤニヤして気持ち悪いと言う。彼らの努力が裏目に出たようだ。
とはいえ無意味の笑いが必ずしも場の雰囲気をさらに冷やすのではなく、多少は和やかなムードに貢献したり、後に本当に双方心から笑える話が出やすいきっかけにもなりうる場合もある。
つまりそういう話術に乗ってくれるアメリカ人もいれば、全く乗ってこないアメリカ人もいる。全く乗ってこないアメリカ人にそういう話術を続ける日本人を見ると、少し寂しく惨めに思えるほどで、相手のアメリカ人が気持ち悪いからやめろと言わんばかりの、ビシッと来る高速ストレートのような苛立った声と内容で返答する者もいる。
相手が乗ろうが乗らまいが、無意味に笑うコミュニケーション術では、こちらがどうも下手の立場になり、話の主導権を簡単に譲ってそうで、私は真似しない。そうでなく、アメリカ人と円滑にコミュニケーションするには、簡潔かつユーモアセンス(本当に面白いと思わせる内容や機転の効いたジョーク)を随所に入れるほうが自然で、それが彼らの話し方でもある。

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