私の住んでいるNY北部の田園地帯では、アパートよりもたいてい庭付き一戸建てのほうが多く、その庭も広い。25mプールが何個も入りそうな広さの庭を持つ家がたくさんある。それら庭には、Shedという物置小屋や、一角に花壇や畑などがあるが、他に日本であまりなくアメリカでよく見かける庭にある物を挙げてみる。
まずプールである。円形のプールを大変よく見かけ、大きさは直径3~5mのものが多い。飛行機で上空から見ると、プール付きの庭をよく見かけることができる。また、トランポリンも時々見かける。これも上記のプールと同じ位の大きさのものもよく見かける。
また、木も多い。10m以上の大きな木も庭によくあり、二本の大きな木が駐車場の左右にあり、木々の枝葉をアーチ状にしている家もある。木が大きいので、ハンモックにしたり、巨大な枝を使いブランコを作る人もいる。日陰になったり、冬の強風からいくらか家を防いでくれる。
他には、ピクニック用のテントや椅子、バーベキューコンロ、小さい子供がいる家では公園並みの広さと遊具が揃っていたり、国旗を掲げた高いポールに加え、キャンピングカーやボート、カヌー、スノーモービル、大型二輪車などを保管する倉庫兼車庫なども庭の一角にある。
ハロウィンやクリスマスなどのイベントが近づいてくると、数十センチはあるオレンジのかぼちゃや、等身大のガイコツ、数メートルある巨大サンタクロースやトナカイや雪だるまの置物などを庭に置いているのもよく見る。
広い庭は一見魅力的であるが、春から秋の終わりまで芝刈りをする必要があり、数時間かかる芝刈り作業を週に1、2回する必要があったり、木があれば秋に大量の落ち葉を整理する必要があったり、長い車道の雪かきなど、広いだけにその維持も大変ではある。人を雇い金を払って芝刈りをしてもらっている家もしばしばある。
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アメリカで仕事をしていると、日本人とアメリカ人の仕事に対する姿勢がある程度異なるのに気づく。今回は、金曜日の彼らの仕事ぶりの違いについて書いてみる。
アメリカ人の多くは、金曜日になるととても嬉しがる。明日から2連休で嬉しいのは多くの日本人でも同じだろうが、アメリカ人はそれをより態度に示してくる。職場の雰囲気が明らかに良くなり、人々は普段より楽しそうで、笑い声もいつもよりよく聞こえてくる。仕事の話でなく、世間話や今週末の予定などで会話が盛り上がる。
挨拶も、いつものGood MorningやHow are you today?などのありがちなものだけでなく、Happy Friday!や、Have a nice weekend!, TGIF!(Thanks God it's Friday!), と言ってくる人も多い。金曜の仕事中に喫煙所に行けば、普段会話を交わさない人が嬉しそうに私に世間話をしてきたり、全く知らない人がハイファイブやフィフスタッチ(互いの握りこぶしでタッチする)をしてくる人もいる。金曜日がどれだけ嬉しいかを歌った有名な歌も多い。
他の平日の気合のいれ具合が 100とすると、金曜日は60くらいの入れようか。金曜日を休んで3連休にしたり、金曜は昼までや3時までで仕事を切り上げる人も多い。会社によるが、私の職場の場合、金曜日は私服可であり、皆ジーンズなど普段着で仕事をするのも気分的に楽しさに拍車がつく。その代わり月曜朝は、たいていアメリカ人は気分が重い。あちこちから溜め息が聞こえてくる。Manic Mondayなど、やはり月曜朝の心境を表した歌もある。金曜と月曜のギャップの差は、日本人のそれよりも大きいと感じるのである。
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英語が話せるようになると、そこにプラスアルファの副作用があることに気づいた。
「恥ずかしい」と思うことがなくなり、他人の目が気にならなくなり、ハグや握手をよくするようになりスキンシップが増え、挨拶をよくするようになり、人見知りが減り、アメリカ人の他人とも気軽に話すようになり、ソトとウチの線引きを昔に比べ厳しく引くことがなくなり、ドアを持って後から来る人を待ってあげたり、日本人コミュニティーという限られた中だけの行動などではなく普通のアメリカ人と行動を共にすることで、アメリカで人との繋がりをより感じることができ、遠出をすることも億劫にならなくなり、会話の中で笑いを無意識に入れようとする、ユーモアセンスを取り込もうとしたり、議論をしても納得いくまでは引き下がらず、交渉事が昔より苦にならなくなり、完璧主義というよりは良い意味で雑になり肩がこらない生活になり、年上相手だからと必要以上にぺこぺこするような事もなくなり、他人からどう思われているかと気にするのではなく自分自身どう思うかを中心で考えるようになり、より自分という存在に自信を持つことができ、まとめると英語が話せるようになったことでさらに自由になった気がする。言い換えるとこれらの多くはアメリカ人の性格価値観でもあり、アメリカ人として片足を突っ込むような適度なアメリカ人化した気がする。自分がより本来の人間らしいワンランク上の自分に昇華できたような気にもなった。
言語とその文化は密接につながっているので、言語を覚えていくとその文化習慣、価値観も一緒に覚えていく。移住して単に英語を学べば英語が話せるようになるだけでなく、価値観という考え方にも影響を受ける。そしてこれは人によるものの、その影響を受け入れていった結果、幸い上記で書いた変化が起こり、自分がより成りたかった状態に近く、より気楽に人生を楽しんでいるような気がする。少なくとも日本で永住する人生を選んでいた場合の自分よりも、人生を楽しんでいる気がする。嫌なこともあるが、総じて英語を話せるということから得られたこうした付加価値は、自分自身をより幸せに、そして強く高めてくれた気がするのだ。
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前回の続き。私の英語が無茶苦茶でも、がむしゃらに会話をし続けた結果、今の私がある。渡米当初は私の英語力が低いために会話がままならなかった人とも、コミュニケーションが取れるようになってきた。渡米後およそ3年位経って、アメリカ人から英語がうまくなったね、と本心から言ってくれるようになった。私のレベルに落としてゆっくりと簡単な英語で話し続けてくれた妻の英語も、渡米当初凄まじく早いと感じたネイティブ英語のスピードで、私に話しかけてくれていることに気づいた。仕事上全て英語で話すが、普通の会話もメールも会議でも、ネイティブと同じようなスピードと会話内容で仕事できるようになった。まるでテニスで、今までは最初のサーブで終わっていたのが、何度もラリーを繰り返しこちらが勝ったような気分を覚える時があった。映画も最初の頃は、二時間も何が起こっているのか分からないまま観るのは苦痛のみだったが、今では大部分理解できるようになった。ある意味内容を言うにしても、相手の選んでくる単語や表現から、ニュアンスの違いも感じ取れるようになった。それでもまだまだ知らない単語は多く、今も妻にも聞くことがあるが、英語で生活するには問題ないレベルになったと思う。
全ては、無茶苦茶な英語でも話せるようになりたいという気持ちのもと、必死でがむしゃらに話し続けた、大変な下積み期間を過ごしたからだと思う。そして英語が話せるようになると、そこにプラスアルファの副作用ががあることに気づいた。次回に続く。
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前回の続き。渡米後すらすらと英語が話せないから、完璧な一文で言おうとせず、単語のみを言ったり、主語動詞の順でなく、日本語の順のようにまず場所や時間など副詞句、副詞節を先に言い、最後に主語動詞を言ったり、頭に浮かんだことをぶつ切りでバババッと言ったりもした。基本的に英語力のせいで会話を止めたりしないようにした。質問に対する回答がそれでもすぐで出ない場合は、相手の質問をオウム返ししたり、Ah--と言いつづけたりして時間を稼いだり。まるで口から出まかせで言うパターンだから、三人称単数、動詞の現在過去形などお構いなしで、文中でまた一文が始まったりなどは当たり前であった。とにかく目と耳で相手の単語、意味、意図、発音などその全てを吸収し、自分の語彙に増やしながら、無茶苦茶でもこちらの意図を伝えようと、いい格好などせず、分かった振りもせず、生きていくためにそれはもう、やけくその必死状態だった。
また、後々分からなくならないように、会話で分からない言葉などがあれば、 You mean ~?とすぐ聞き返したり、会話をさえぎってでも意味を確認したり、その場で出来る限り理解するようにした。携帯の電子辞書で確認したこともあるし、妻にもよく聞いたりした。むやむやにしておくと後でまた困るだけでなく、何が分からなかったのか自体忘れてしまうからだった。
妻がアメリカ人であったのは、大変心強かった。妻には何万回と質問しただろうか。妻が日本で英語教師であったこと、またアメリカで私が住むには英語をもっと覚えてもらうのは必要と本質的に感じていたのか、嫌がらずよく答えてくれた。今の英語レベルに達するに妻の助けは大変大きかった。
こうして渡米後すぐに、大学まで英語を勉強した自信やおごりなどは捨て、恥ずかしさも思い切ってかなぐり捨てた。日本で長年学んだ英語の大半が無駄のように感じ絶望感に似た気持ちもあったが、生きていくため一から仕切り直しするような覚悟を持った。また見よう見まねで話すたびに相手の言葉を自分のものにしていくのは、まるでものまね師のようなスタンスだったと思う。そのスタンスは基本的に今も変わらない。
少しでも早く英語が上達するようにと、英語上達法関連の本や教材を取り寄せたり、アメリカの英語学校に通ったことも一時あったが、やはり最もためになった最善の英語勉強法は、アメリカ人と会話をし続けることであった。これに尽きた。近道というよりは、むしろそれは王道であった。日本語で考える暇がないほどに、多くのネイティブ達と四六時中話すことが最も早く、確実に上達する方法であった。その後どうなったかは次回に続く。
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前回の続き。日本で長い間英語を学んでも、渡米後一から学び直さねばならない状況が続いた。こういう時はこう聞き、こう受け答えするという、ある一定のリズムやパターンを生きた英語から学び続けた。そのため日本で習わなかったがアメリカでよく使われる英語や、俗語などは会話の度にまるでスポンジのように自分の語彙として取り入れて行った。同時に、日本で習った英語のうち、実際に使わない英語はどんどん忘れて行き、代わりにそうした実際使われている英語で覚えなおし、補完していった。
全く英語を知らない状況で渡米するよりはましだったかもしれないが、一生懸命覚えた英語の多くが実際使われない死語のようで、それらを訂正して上書き保存するような追加作業に時間がかかったのも事実だ。
会話するのも大変だった。今から思えば、よく当時の私の無茶苦茶な英語に付き合ってくれたものだと申し訳なくなるほど、支離滅裂状態だった。どうしても日本で行っていた作業のように、完全な一文として頭で作り上げてから話そうとするから、テンポよく話せない。相手の英語も完璧に理解できない場合が多かったから、聞こえたいくつかの単語から「推測」してリズムよくすぐ返答しようと気がせいたため、質問の意図から外れた返答を、しかも遅れて下手くそな英語で返す。キャッチボールで返す相手へ、相当ゆっくりかつ見当違いの方向へ、投げ返すようなものだった。
今日明日ですぐ上達するものではないから、日本語が話せる日系人を探したり、日本へ帰ろうかななどと、現実逃避に似た気持ちにもなったものだ。
さらに日本在住のアメリカ人のように、周りが割りと(下手でも)自分の母語で話してくれたりしてくれる環境ではなく、日本語で助け船を出してくれるアメリカ人などいなかった(いても「コンニチワ」程度しか知らない人がほぼ全てだった)ので、アメリカで生きていくにはとにかく当たって砕けろというか、体当たりで英語環境に漬からざるを得ないし、それしか生きていく術がないとすぐ体感した。
まさに語学に王道なしで、無茶苦茶な英語でも恥ずかしさを捨て、とにかく聞き、話し続ける覚悟を決めた。そして具体的にどういう英語生活を渡米後送ったかは、次回に続く。
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