日本にいた頃は、選挙が近くなると、駅前で候補者が朝の早くから通勤者に向かって演説していた。かなり前だが、選挙期間以外でも定期的に駅前でいつも同じ人がマイクを持って演説していた記憶がある。拡張器を持って話す宣伝カーもよく見たしうるさい程だったが、アメリカでは滅多に見ない。
私が田舎に住んでいるのもあるが、日本のそれほどまず見ないし、あってもそんなにガツガツと、ありがとうございます、OOです、よろしくお願いいたします、と握手しまくるような印象がない。
4年に1回の大統領選挙の時は、候補者は各州を回り、各都市で講演をする。その時は全米が注目する程で、候補者も選挙活動に必死だ。しかしそれ以外は、拡張器を持って走り回る候補者を周辺で見る機会は日本よりずいぶん少なく、静かでよい程だ。グリーンカードで永住している私にとっては、選挙権がないので、一生懸命な候補者の演説を聞いても投票のしようがないのであるが。
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アメリカのセミについて書いてみる。
日本のは、田舎だけでなく都会でもかなりの数がいて、爆音に近いような音で暑さが増しそうな程だが、アメリカはそうではないように思う。
私はアメリカの田舎に住んでおり周りは森林が多いが、セミの鳴き声はほとんど気にならない。確かにセミはいる。姿や鳴き声もほとんど同じだが、絶対数が少ない。木は周りにたくさんあるのに、セミは少し離れたところで数匹鳴いている程度だ。全米各地でどうなのか調べた訳ではないが、ハワイに住んでいたときもほとんど記憶がない。
そういう理由があってか、日本のTVドラマをアメリカで放送する際、セミの鳴き声が大合唱の様にあまりに大きく、アメリカ人に馴染まない等の理由でセミの音のみをカットして放送されるほどだ。
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私にはアメリカ人の妻との間に2人の子供がいる。アメリカに永住していると、必然的に子供たちの母国語は英語になる。しかし日本人とのハーフであり、将来日本語でも生活できるようにと、私はあえて子供たちに日本語で会話をする。
面白いもので、私は子供に日本語で話し、子供たちは日本語を聞いて英語で返答する。同時に子供が英語で話しかけてきても、私は日本語で返答する。そんな生活を送っている。
言葉は文化である、と言われるように、その国の言葉を覚えていくと同時に文化も学び取れると信じている。そのため確かに変な感覚はあり、英語で話した方が楽だと思う瞬間もあるが、毎日毎日頑張って子供たちに日本語で接するようにしている。
私自身、ペラペラではないが英語の使用はほぼ問題ない。しかし子供は生まれたときから母や多くのアメリカ人の親族、友人らとともに暮らしてきているので、子供のほうが英語が上手だ。
時折子供が話す英語が流暢過ぎて何を言っているか分からないときがあるほどで、どういう意味?と聞き返すこともある。日本にいる母が、子供に英語教えてもらったら?と茶化されるのだが、日本から移住し、アメリカで永住していると、こうしたややユニークな環境で私たちは生活しているのである。
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アメリカでのオリンピック観戦について思うところを書いてみる。
オリンピックを見ていると、やはりアメリカなので、放送も出場するアメリカ人選手の競技が中心である。競技の合間はアメリカ選手の幼い頃のエピソード等が紹介される。
そして大半の競技でアメリカ人選手はメダルを獲得する。そのため、日本でオリンピックを見ていた時のような、やっと出てきた日本人選手が、他国の選手に負けずどうかメダルを取ってくれ、と祈るような気持ちで観戦することもない。アメリカ人選手の多くがメダルを獲得し、いつもベスト3に入るほど量産してくれる。決勝戦がアメリカ対アメリカという競技もあるほどだ。
アメリカで住む私は、どの国を応援するかというと、しいて言うと日本とアメリカと思うが、特にこだわっていない。日本で育ったから、日本人が活躍すると嬉しいが、昔日本で観戦していた時ほどの祈るような感覚はなくなった。
一方で、アメリカ人選手がメダルを取ると確かに嬉しいが、ああまた取ったか、という気分で、むしろ国土も人口も少ない小国の選手がアメリカ人選手に勝ったのを見るともっと嬉しく、観戦のしがいを感じる。
人口が多く、選手育成に資金と設備が整っている大国では、優れたコーチだけでなく代表選手の質自体、全国の相当数いる中の最も優れたエリートなわけで、必然的にレベルが高い。アメリカに移住して住んでいると、勝って当然のアメリカ人選手が小国出身選手に負けるのを見るのがより楽しいという、天の邪鬼的観戦をしているのである。
日本対アメリカ、中国、ロシアなど大国の試合を見るときでも、そういう理由で、日本が勝つと嬉しい。逆だと当たり前のようで味気ない気分になるのである。
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アメリカの球場での野球観戦は、日本のそれとは異なる点がある。
日本の球場では、応援団がトランペットや太鼓で盛り上げ、観客もメガホンやビニール傘や風船などで参加し、大きな音でにぎやかである。しかしアメリカでは、応援団は通常いない。
楽器による応援もない。選手別の応援歌もない。ではアメリカの観客は球場で何をするかというと、見ているだけである。日本のに比べずっと静かである。ヒットやホームランが出ればもちろん歓声がすごいが、何もなければ静かなものだ。
日本とアメリカでプレーの経験があるプロ野球選手は、その観客の態度の差、うるささに大きなギャップを感じているはずだ。
さらに日本の球場では、観客が野次や選手名を叫ぶ場合がよくあるが、アメリカではそれは比較的少ないのではないかと思う。
ちなみに、ホームランボールだけでなく、ファールボール、そしてイニング終了時のボールは、取った観客が持って帰る事ができる。
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アメリカに住んでいて、個人的に最も嫌な英語の言葉がある。
それはI don't knowだ。多くのアメリカ人が普段の会話でこの言葉を頻繁に使用する。
思うにそれは、日本人が「分からない」と言う頻度の比ではないくらいかもしれない。
会話をしていて、質問が分からなければ仕方ないわけだが、彼らはまるで口癖のように気軽に多用する。
あまりにも多くI don't knowを会話の端々に入れてくる人がいるが、こちらとしては全く知らないであろうことをあえて聞いているわけではなく、相手の仕事の担当上知っているであろう、もしくは知っているべき事柄を聞くわけだ(それは日常生活での会話でもほぼ同じ感覚だ)。そのためI don't knowを多用してくると、そこで話がいったん終了するだけでなく、知っているべきことを知らないならそもそもなぜ知らないのかと、相手の緩慢さ、怠惰、 責任転嫁、無責任をいった態度を感じ悪印象を抱きかねない。
日本語でも、質問されて「わかりません」、だけだと話が終わりかねないが、「わかりません、でも~なら分かります」など、それに関連する自分の知識や意見を続けて述べると会話のキャッチボールは続き、質問の答えにつながる手がかりを共有することが出来る。私の周りのアメリカ人は、それさえない人がよく目に付くため、I don't knowという言葉を毛嫌いするようになったのである。
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