自然に囲まれたNY北部に住む日本人が、現地の習慣や価値観等、日本とのあらゆる違いを紹介します。アメリカ留学、移住、旅行等、アメリカに興味のある人向けです。

アメリカから日本へ送金した結果

先日日本に住む母に誕生日プレゼントとして現金を送る事にした。以下は2015年1月に最寄りのBank of Americaから、日本の三井住友銀行に送った額がいくらになって入金されたか、である。
Bank of Americaの私のCheckingAccountから、三井住友の母の口座へ現金を送りたい、と銀行員に言うと、私のキャッシュカード、運転免許証、そして送金先の口座番号、母の名前、住所を聞かれた。事前にこれら情報の他、三井住友のウェブサイトで店番号やその本店住所等を一枚の紙にまとめて持参したのは手続き時間の短縮に繋がったと思う。
そして金額であるが、受け取ったTransfer Receiptなる紙によると、
Transfer Amount: $306.10,
Transfer Fees: $+35,
Total: $341.10,
Exchange Rate: US$1.00=114.34JPY,
Transfer Amount: 35,000JPY,
Total to Recipient: 35,000JPY.
とあった。ちなみに最初は3万円送ろうとしたのだが、妻によると念のため多めにした方がいいと言う。以前日本で英語教師をしていた際、よくアメリカに送金をしていたが、いつも5千円程手数料として減額されていたので、多めの3万5千円にした方がいいと言ったからである。
そういう訳で3万5千円受け取れるようにしてくれと言った結果、その日の為替で計算されたのが、Transfer Amount: $306.10(x114.34=3万5千円)であった。そして$35の手数料を払い、総額 $341.10出した。
そして土日を含め6日後、母の口座に入金されたが、入っていたのは3万1千円であり、4千円引かれていた。日本円で4千円丁度という事から、受け取る銀行側での手数料かと思われるが、どこの誰が中抜きしたのか詳細は不明だ。結局、$35の手数料込みで$341.10(x114.34円で計算すると約3万9千円)で送り、母が受け取ったのは3万1千円であった。手数料やその銀行の為替レート(手続き当日にニュースで見た為替は$1=114円でなく120円だった記憶がある)でかなり損した気がする。よく知らないが、数ある送金法の中では、これはあまり良い方法ではないような気がした手続きであった。

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日本関連で恋しいものの4つ目とは

ある記事で、昔話に花が咲くと、脳への血流が増加し活性化し、若返る、というものがあった。それを読んで、海外に永住してかなり経つ私は考えさせられた。昔話が分かる相手が周りにいないのである。
学生の頃一緒につるんでいた仲間と会い、昔ああだったな、こうだったなと、自分たちしか分からない思い出話をすれば大変楽しいだろうし、確かにその時間は昔に戻り若返ったような気になるかもしれない。しかし、残念ながら周りに気軽に会える当時の仲間がいない事に改めて気づかされた。
妻が日本人で同世代だったり、海外移住先が大都市で同年代の知り合いができたりすればまだ思い出話で盛り上がりそうだが、日本人自体いないような田舎に住んでいればそれもできない。また今でも連絡が取れる学生時代の旧友が数人いるが、日本と時差が13時間あり、こちらがふと電話でもしようかと思っても日本は朝だったり、携帯電話への通話料が高くて互いに億劫になっていたり、向こうにも家庭があるだろうし、と変に気を使い連絡しない期間が長くなればなぜかかけづらくなる。とりあえず今週末会おうか、と気軽に言うわけにも行かず、タイミングが取りづらい。
酒でも飲みながら、当時のあの担任だけどさー、などと気軽に盛り上がるには、電話やSNSではなく居酒屋等でみんな集まってガヤガヤ騒ぐほうが楽しいのだが、数年に一回程度しか日本に帰らないのでそう簡単に行かない。盆や正月のシーズンになればいつも私抜きで旧友達が会っているのは、寂しいし、私もぜひ参加したい。以前日本関連で恋しいものの3つに、ラーメン、桜、温泉、と書いたが、4番目として旧友と過ごす時間、というものも加わりそうで、年を取るにつれその比率が高くなってくる気がする。

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英語を話すのを完全に止める時

私がアメリカ人の妻と口論になった際によくすることがある。それは英語から日本語に変えることである。普段私たち夫婦の会話は英語である。その理由はアメリカに住んでいるとか、妻の日本語がぜんぜんだめとか、日本語は英語より難しいからとか何とかで、日本人の私が英語を使ってやり妻と会話する。
この英語を「使ってやっている」点が大事で、特に妻には声を大にして言いたい。向こうは母国語の英語で話すのだから、至って楽で自然だ。一方こちらは大人になって独学で学んだような英語であるから、英語で会話する、という土俵に立った時点で、既にかなりのハンディキャップがある。それはまるで、100m走で、妻はいつも50m地点からスタートしているようなもので、会話する際私はいつも不利の立場であり、アウェイの気分だ。
毎日の会話だから、相手は慣れきっているのであろう、そういうこちらの努力を忘れているもしくは軽んじているような節がある。特に口論になった際、向こうは母国語で言いたい放題言える。アメリカ人によくある討論好きで論理的に畳み掛ける論法で来るから、手馴れた魔法のように自由自在に畳み掛けてくる。片や私は、英語で話すわけだが、相手に理解させ納得させるための話の筋道や論理を考える事だけでなく、それを的確な英語で論破しなくては妻に勝てない。仕方がないからこちらが英語を「使ってやっている」という事を逆手にしているのか、と思ってしまう位の口調で攻め立ててくる。そうなると、こちらに余計の負荷があるようで、不利である。
あまりにも馬鹿馬鹿しい時、私は英語を使うのをきっぱり止める。そして日本語で攻め立てる。日本語であるから、スラスラと両手から次々と攻撃魔法が出てくるようだ。そうすると妻はひるむ。私が普段味わさせられている重荷を、時々妻にも感じさせ再認識してもらう。第二言語で話すというのは、いろいろ大変なんだよ、という事を再認識させるには口論の時が最適で、スパッと私が日本語に切り替えると、後は自分の意見を論理的に諭すのみに集中すればいいので、勝率が大変上がる。妻が、私のそういう努力があって夫婦の会話自体ができているのだ、という事自体忘れ、感謝の気持ちもなくなって来ていそうな時は、私は完全に日本語に切り替える。頻度はまれで可愛らしい抵抗ではあるけれども。

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雪の種類による雪かき法

毎年冬になると雪かきが大変だ。温暖化で雪が減るかと思えば、逆に台風のような勢力を持つ爆弾低気圧なるものが発生しやすく、寒い地方では猛烈な雪が降りやすいと言われる。
私が住むNYの田舎では、冬に大量の雪が降る。いわゆる雪かき機、Snow Blowerは必須だ。6、7万で、数十センチの雪を除雪できる手押し車のような機械を買え、周辺地域では一家に一台持っている。そうして毎日のように車や車道の雪かきをしていれば、日により雪の質、種類が多くあることに気づく。
いわゆる新雪、綿雪、パウダースノーなどと呼ばれる類の雪が降ると、雪かきの作業が楽だ。風で飛ぶほど軽い。朝の出社前、車の上や車道にある程度の量の雪が積もっていても、羽毛のように風で飛んでいくような状態と分かれば、雪かきを一生懸命しなくとも、車と運転すればその風で一気に雪が吹き飛ぶ。
また、たまに水分をかなり含んだ雪、いわゆるべた雪(ざらめ雪とも言うかもしれない)の状態がある。これは粉雪よりもずもっと水っぽく、見た目はシャーベットのようで、触れば柔らかいかき氷にやや近い雪だ。雪合戦の玉にするにはもってこいの雪質で、両手で圧力をかければかなり硬くなる。水っぽいのでまだアイスバーンのように凍っていないが、ブラシで車の雪かきをする際は、かなり重い。荷物をブラシで動かす様な感じで、雪を落とすとドスッと汚く飛び散る。だが凍りついていないので、ブラシで履く程度でさっさと雪かきを終わらせられる。
問題なのはこおり雪である。車の窓がすりガラスのように凍ってしまい、ブラシで履いても何も変わらない。これは相当寒い夜の翌朝とか、とにかく凍えるような寒い時にできる。雪ではなく、分厚い霜というか、氷であり、窓ガラス越しに見ても透過性がなく、前が見えないため運転できない。そのためスノーブラシの反対側についているプラスチック製のヘラで、車の窓の氷をガリガリと削り落とす雪かき(氷かき)をせねばならない。時に車内内側の窓ガラスにも霜がびっしりついている時は、もう仕事に行く気がなくなる程だ。なお誰かが昔、夜寝る前に車のガラスにサランラップをつけると、翌朝窓に霜がつかないと言ったが、まだ試した事はない。
この作業は結構時間がかかり、車内のヒータを最大にしても、すぐには取れない。こんなに強くやってガラスに傷がつかないか、と心配するほど、何度もヘラでガリガリと削り落とさねばならず、場合により10分ほどかかる。遅刻しそうでも、こればっかりはやっておかないと前左右が見えず、ワイパーも動かず大変危険であるからだ。
そういう日は、たいてい路面も悪い。除雪車が随時雪を取り除いてくれるが、しばらく来ていない道を走る時は、道無き道をいくかのように道がどこか分からなかったり、雪が凍りアイスバーンになっていたりして、細心の注意を持って運転しないと、すぐ事故を起こしてしまいかねず、命がけの運転をする日がよくある。

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ハーフの子供に日本語を教える際に気をつけている事

例え相手が英語で話してきても、ハーフの私の子供へは、日本語で話すようにしている。その際時々自分の中で思うのは、きちんと日本語を教える意図を持って話しているかということである。特に周りに日本語を話す人や環境がない生活を送っていると、よくそう思う。例えば、「分かった?」と言おうとする際、「Understood?」や「You got it?」などと英語で言ってしまえば(相手が英語で話しかけてきた際はなおさら)楽であるが、日本語の練習には全くならない。
問題は、例えば「完全な人などいないのだから」という際、「パーフェクトな人などいないのだから」、と言ってしまうと、「完全な」という日本語を学ぶ機会を失わせているのではないか、と思う点である。
話者である私が楽だから、また相手が英語話者だからと、「パーフェクト」という英語を日本語の文章に紛れ込ませると、楽ではあるが、「完全な」という日本語をあえて教えず、こちらから学ぶ機会を奪っているかのような気になる。「完全な」という言葉を相手は知らないだろうから、またさっさと意思疎通してしまいたいという気持ちで「パーフェクト」を用いたいという自分と、日本語をもっと学んでもらうためにはできる限り日本語のみでこちらも言葉を選んで話す必要があるかもしれないと思う自分がいる。
もし「パーフェクト」と英語で済ませば、相手は英語話者なので意味はすぐ伝わりその場はそれで済むが、次に「完全な」という言葉を使う機会が来るまで、彼らは学ぶ機会がない。幸運に翌日にでも「完全な」を使うべき会話が出て、そこで話者が「パーフェクト」と言わずに「完全な」を用いれば、そこで学ぶ機会を得ることができるが、話者自体どんな言葉を以前英語に替えてしまっていて、次回はそれを日本語で言おうとなどと覚えているわけもなく、言葉選びには慎重にならねばと思っている。サッと英語で言えば数秒で伝わるところを、言葉の端々に出す知らない日本語の説明をするとなると時間がかかるし骨が折れる。急いでいる時やしんどい時もある。
しかし毎日という膨大な(かつ日本語学校への授業料が不要な)家族との時間を使い、小さな事からこつこつと教えていけば、大人になる頃にはいちいち説明しなくともお互いほぼ完全な日本語でスムーズに会話ができる日が来ると信じて、今日も子供に日本語で話すのである。

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映画Frozenのアメリカでの影響

映画Frozen(アナと雪の女王)は、映画公開後もその人気が続いている。アカデミー賞他様々な賞を受賞したり、世界中で1.3億ドルの興行収入を得たり、動員人数を塗り替えたりと、早くも白雪姫やシンデレラ等と並ぶクラシックスの仲間入りしたと、公開後すぐから言われたものだ。
近くのWalmartやTarget, Kohl's等のスーパーや衣料店に行けば、Frozenのおもちゃやスナック、ドレス等の衣料やグッズがたくさん見受けられる。あらゆるおもちゃだけでなく、雑貨、文房具、食器、お菓子、衣類等、Frozenグッズは大量に売られている。衣料で言えば、主人公のアナとエルサのドレスが300万枚売れた等、アメリカでも大人気である。
公開後のアメリカのハロウィンでは、小さな女の子の多くはアナかエルサのドレスを着て、近所を歩いたものだ。Trick or Treatとして近所の家を練り歩く時や、関連イベント等では、どこもかしこもアナかエルサのコスチュームを着た子がいて、面白かった。
家の近くでは、アイスクリーム店やスポーツジム等どこかでイベントがある際、また子供の誕生日会をする際等、そういう専門の会社からアナやエルサの服とまとった大人のモデル女性がイベントとして雇われる事があり、何度もアナやエルサの女性を見た。そして彼女らが訪れるイベントには多くの子供が集まり、皆にハグされたり、写真を撮られたりと盛況である。近所のアイスクリーム店にアナとエルサが来たイベントでは、行列嫌いのアメリカ人であっても1時間程の行列で、客としても経済効果が素晴らしい事を実感させられる程であった。

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