自然に囲まれたNY北部に住む日本人が、現地の習慣や価値観等、日本とのあらゆる違いを紹介します。アメリカ留学、移住、旅行等、アメリカに興味のある人向けです。

マスクをしないアメリカ人

日本人が風邪を引いた時には、多くの人がマスクをする。しかしアメリカ人はそういう発想自体ないのか、マスクをする人は滅多にいない。昔渡米当初の頃は、風邪を引いた際、日本人的感覚でスーパーにマスクを買いに行ったことがあるが、売っていなかった。それは今もそうで、欲しくてもなかなか売っていないのである。
何店か探し回ってようやくマスクが見つかるが、日本では様々な種類、例えば風邪用、花粉症用、睡眠用、あごの下まで覆うものなど大きさや価格帯がいろいろ選べる一方、私の住む地域では1種類か、あっても2種類しかない。それらは陳列棚の端のほうにたいていあり、在庫も少ない。ほとんど誰も買わないのが見てとれる。
冬などインフルエンザがアメリカでも流行し、学校が休校する日もしばしばあるが、それでもマスクをする人はかなりの少数派だ。ダサイと思っているのか、人にうつさないようにという発想がないのかと思いがちだが、他の人に移さないようにとマスクをする人が多い日本に比べ、アメリカでは移されないように健常な人がマスクをする事はある。医者との問診で、疑いのある病気があると思われたら、一旦席を離れマスクをしてくるアメリカ人医者もいる。今までのところ、アメリカ人がマスクをするのは、工事現場の人や医師程度しか見たことがない印象である。

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しゃがんだ時に見えるパンツ

しゃがんだ時や、物を取ろうとかがんだ時にパンツが見えてしまうことがある。それはまるで電車の吊革広告のように、見る気はないが目に入ってしまうようなものだが、日本よりもアメリカでのほうがより多く目にする。
しゃがんだ際ズボンで隠し切れず、下着のパンツがかなり出ているアメリカ人女性は多い。日本人のように人の目をそれほど気にしないからなのか、概しておしりが大きいからなのか、中には胸の谷間のようにおしりの割れ目の端がかなり露出している女性も頻繁にいる。気づいていないのか、または気づいていても気にしないのか、お構い無しのアメリカ人女性もいるかのようだ。目のやり場に困り、出てますよ、言うわけにもいかないので私は無視する。
若いアメリカ人女性なら、ローライズなど股上の短いズボンをあえて履き、Tバックが丸見えの女性もいるが、そうではなく普通のズボンを履き、下着だけでなく腰のタトゥーやおしりの割れ目までおおっぴろげに見えている女性もよくいる。私の妻も類に漏れずその類で、食事で椅子に座っている時も尾骶骨あたりでジーンズからはみ出たパンツが当たり前のように出ている。ジッパーを空けたままになっている事を指摘されるのとよく似たものなのか、何度も指摘するとだんだん逆ギレされて「So what!」とか「I know that!」と言い返されるのがオチだ。なので私は気づいても無視するか、Wedgie(パンツを背中上部へ突然持ち上げ、わざとパンツを食い込ませるウェッジーと言ういたずら)をする。

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これは英語でこう言う、ベストな言い回しを覚える方法

この状況では英語でこう言う、というようなベストな言い回しを使いこなす、というのは、アメリカで長い間住んでいても未だ完璧ではない気がする。それが使用頻度がやや落ちるものではなおさらだ。例えば、「その塩取って」、と言うにはPass that salt please.とスッと出てくる。たとえ「取って」と日本語で言うからと直訳でTakeやGrabは用いない。頻繁にその言い回しを周りのアメリカ人が使うので、覚える機会が豊富にあったからだと思う。
一方でそれほど頻度が多くない表現は、そうそうスッとベストな表現が出てこない。例えば「靴の泥を落として」だと、Wipe your shoes offだが、周りのアメリカ人がそう言っているのを聞く機会がなかったり、全く知らなかったりすると、日本語の直訳や、自分の英語レベルを駆使し今までの経験に基づき、推測的”新”英語表現(合っているか分からないが多分こういうかも知れぬという自作の英語)で言うことになる。
靴の泥を落とす、と日本語で言うのでDrop the dirtとか、Fall the dirtとか、Delete the dirtとか、ベストの表現を知らないためにかなり苦し紛れの表現で言う場合が多々発生する。それで聞き手が分かってくれれば、とりあえずは合格点であるが、教師のような、こちらの意図を汲んで相当な内容補完作業が瞬時に行える人でない限り、ベストな表現以外では意味はなかなか通じない。
そこで身振り手振りのジェスチャーや、連想ゲームのように単語のみや別の言い回しで何とか伝え、外堀を埋めるような手間をかけてようやく「Oh, you want me to wipe my shoes off!」と分かってくれることも多い。そうして手間暇かけ、また多少の緊張とストレスを感じて掴んだベストな表現は、熱い鉄で頭に刻印されるかのように以降も自分の言葉の範疇に仲間入りする。その刻印の強さは英語本を眺めているだけとは比べ物にならない。私は毎日その積み重ねで、1つまた1つと今でも英語を勉強中である。

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同じ人を使い続けるアメリカCMの例

日本のコマーシャルで、同じCMで同じイメージキャラクターがずっと起用されることがある。例えば昔日本にいた頃の古い例だが、赤いきつねと緑のたぬきのカップ麺のコマーシャルでは、武田鉄矢が毎年起用されて出ていた記憶がある。
アメリカでもそれはあてはまる。例えばProgressiveという保険会社のコマーシャルで、真っ白な服を着た女性が様々なバージョンでずっと出続けている。ハンバーガーのWendy'sでは赤毛の女性が、携帯電話会社のAT&Tでは、スーパーバイザーの店頭販売員役の女性が、ピザチェーンのPapa John'sでは、CEOの男性が、いつもそのコマーシャルに出ている。この商品と言えばこの人、という様なトレードマーク的、マスコット的に、同じ人を起用しているコマーシャルがアメリカにもよく見られる。
個人的印象では、同じ人をずっと起用し続けるのが分かる気がする。というのは、単に同じ人の起用では、商品とともにすぐ何のコマーシャルか分かりやすいということであろうが、上記で挙げたCMで出続けている人達は、カリスマというか、人をひきつけるような何かを持っている雰囲気を感じられる。単なるコマーシャルなのだが、何か作業をしてたのを止めて見たり、手を止めたりしてしまうことがあり、あの人が出るあのコマーシャルの続編、新バージョンが流れるとつい見てしまったりする。
そうこう続けていくうち、いつかその品物、例えば携帯電話等が必要となり店に出かけた際、いろいろなブランドやバリエーション、価格帯などでどれを買うか判断するわけだが、あの同じ人を起用し続けているあのコマーシャルのブランドの商品が、より親近感を感じてしまい、他社のものよりも一歩リードした状態で品定めをしているような気になる時がある。同じ人を使い続けるコマーシャルの、魔力を感じる瞬間である。

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海外永住の子供に日本語読み書きを教える その2

前回の続き。そういう日本語読み書き練習を毎日続けた。ダレたり嫌がるのを極力防ぎ、習慣づけるため、朝起きてすぐ、手作りの日本語練習問題数枚を横についてやらせた。先に他の用事をさせ、昼以降に日本語勉強時間を取ると、どうも気持ちの切り替えがうまくできないというか、やる気が出ない事が多かったので、半ば強制的に、起床、歯磨きトイレの後すぐに日本語の時間、というやり方をずっとやってきた。
親としても大変である。日本に住んでりゃこんなことしなくても済んだのに、というのは未だに感じるし、教材の作成、問題のネタの確保も毎日となればこちらも大変だ。古典漢文はさせないが、漢字、読解問題、書き取り問題、、詩、俳句、日本史、日本の伝統文化やイベントを随時教えたりなど、ネタ探しに奔走の毎日であった。
なお、動詞の活用や細かな品詞等文法表現の指導は、日本語教師として学んだ経験が役立った。たまに日本に帰る時は子供の国語関連の教材を大量に買うことになり(それでも次回の里帰りまでネタが持たないが)、日中仕事をしているので準備は夜子供が寝てからになり、子供の当時のレベルにあったものや、理解度が乏しい箇所を踏まえた問題文を作り続けた。
ハワイでの日系人の友人達の日本語読み書き能力を知っていたし、周りに日本語を話す人がおらず、学校でも日本語の授業がなかったこと、また子供が大人になった頃に思い出したように日本語読み書きを教えるのは時期既に遅しであることも踏まえ、正直面倒臭いが、日本人の親である私が率先して幼児の頃から「毎日」朝一に日本語を教え続けた。いずれ子供が日本語の読み書きだけでなく、日本語自体全く不要の人生を送る可能性はあるが、それを言っちゃおしまいで、私のやる気も萎れかねない。日本語を学んだことで、言語だけでなく、その文化習慣価値観や日本的発想等、その何かがどこかで今後役立つかもしれないという、つまり教養としていつか役立つのだと(少なくとも私自身を納得させ)頑張ってきた。子供達もよく嫌がらず学んでくれたと思う。

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海外永住の子供に日本語読み書きを教える その1

アメリカ永住し、ハーフの子供がいるが、子供にどう日本語を教えるか?言語は英語のみでよいとされる方もおられるが、私の場合、英語日本語両方を子供に習得して欲しい。そして特に大変なのは、日本語の「読み書き」をどう教えるかである。片親でも日本人であり、子供に日本語で接する環境であれば、それなりに日本語による会話はできるようになる。それにより聞く話すはできるが、読み書きについては、私は別物と考えている。
ハワイにいた頃は、日系人の友人が多くいた。彼らはジョン川口などと、日本人の苗字とアメリカ人のファーストネームを持ち、母国語はたいてい英語だ。日本語も話せるが、読み書きは総じてネイティブ日本人と同レベルではない印象だった。30、40歳を越えても、漢字を滅多に使わず(使えず)、小学生のような日本語の字体であった。それは日本語の読み書きの機会、また日本語を書く必要自体ほとんどなかったからかもしれない。
読み書きの習得は、大人になってからではより大変なので、小さいうちから、できれば生まれる前からどう教えるか道筋を立てるのも手だ。周りに日本語を話す人や、日本語学校があれば大きな助けとなるが、そういう環境ではなかったので、私は100%の割合で子供に日本語で話し、寝る前によく日本語の本を読んであげた他に、日本語のTVチャンネルを導入しよく見させた。これでさしあたりの日本語で聞く話す環境を整備した(つもりでいた)。
そして問題の読み書きの環境整備である。私は国語の教員免許保持者でもない、単なるアメリカ永住する日本人であるので、子供にどう日本語の読み書きを習得させるかは大変骨の折れる重労働に感じた(今もそうだが)。とにもかくにも、幼児のうちから、母国語(英語)は妻から、日本語は私により読み書きを教え続けた。母国語自体定まっていないような頃から、二ヶ国語同時に教えるのはどうか、という記事を昔見た記憶があるが、赤ちゃんから幼児にかけてのいわゆる言語習得の黄金期間を使わない手はなかったので、3歳頃から既にひらがな、カタカナを教え、5歳には小学一年生の漢字80字と、短文読解を始めた記憶がある。次回に続く。

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