ハーフでなくダブルの感覚
アメリカに住めば、周りのほぼ全員がアメリカ人なわけで、毎日の生活で彼らに感化され続けた結果、首尾よく暮らしていくためにアメリカ人化してきた気がする。外見は日本人でも、価値観考え方は、生活を快適に過ごすため適応していったような感覚だ。
中には日本人としてのアイデンティティーを頑なに固持するかのように、鉄の塊のようにアメリカナイズされる事に拒否する人もいるかもしれないが、私の場合、 アメリカに永住する以上、ある程度ここで適応する必要があり、片足または重心の多くをアメリカに置いた生活のほうが自然なので、私自身の価値観も変わってきたように思う。今ではアメリカ人の価値観、発想、行動の多くが想定の範囲内なので、渡米当初のような違いに驚くことはほとんどなくなってしまった。
つまり日本とアメリカ両方の価値観を持つハイブリッド、ハーフでなくダブルになったような感じだ。日本人と話をしても、彼らの価値観や細かなニュアンスも分かり、アメリカ人と話しても同じく彼らの価値観考え方が分かる。生まれも育ちも違う外国人と話すのではなく、どちらと話しても同胞人として同じ側に立った感覚で理解できるような気がする。
この人と話しても所詮外国人だから、と壁を作ったり、本質的に同調意識を持たないでいたりすることはない。アメリカに長く住んでいると日米どちらも故郷のような感覚で、どちらの側の価値観もそれなりに分かってくる。
日本人は一般的に律儀でまじめ正直で、精密機械のように行動しがちだが、日本からの視点で見るとアメリカ人は何と雑で、時間もルーズで自己中心的で横柄なのだ、と見れなくもないが、アメリカからの視点で見れば、日本人は何と生真面目で、機械のように問題があるとすぐ立ち往生し応用が利かず、自己主張がなく集団行動が大好きなのだろう、と言い換えられなくもない。日本からすればアメリカ人は雑すぎても、アメリカ人からすればそれは息が詰まるほど正確すぎるかも知れず、どちらに基準を置くかで正反対にもなる。
単に年をとり丸くなるのとは別に、長年海外に住めば、自分の考えを絶対的に押し付けるのでなく、異なった意見や見方もより取り入れる心の余裕がずいぶん備わったような気がする。そういうのを突き詰めると国際理解、異文化交流などの概念に繋がるのかもしれない。
それは面倒臭そうかもしれないが、日本で育ち海外に住むには必要な適応であったような気がする。日本で永住するにも、様々な考えを持つ人と暮らしていく必要があるので、他人を理解すると言う作業は無駄ではない。首尾よく暮らしていくために、そこに異なった言葉や文化習慣が加わっただけだ、と楽観的に理解している。