自然に囲まれたNY北部に住む日本人が、現地の習慣や価値観等、日本とのあらゆる違いを紹介します。アメリカ留学、移住、旅行等、アメリカに興味のある人向けです。

アメリカ飛行機欠航の話 その4

前回の続き。当時78歳の膝が弱い母にこれはひどすぎる仕打ちで、わざわざアメリカまで単身会いに来てくれただけに、また私がすぐシカゴへ行って助けることも物理的に出来ず、本当に歯がゆかった。今頃寒いアメリカの空港の椅子に座り、一人で不安な中、夜を明かそうとしている母を思うと不憫で腹の煮えくり返る思いになり、夜11時を回っていたが、さらに色々調べた。
オヘア空港のセキュリティに電話し、高齢で英語が話せず、膝を痛がっている母が空港にいる。毛布の提供や、食事面のアシストなど、様子を見てきてくれないかとだめもとで依頼した。OK、とだけ男性の声の主は言って電話を切った。私は何かあったらいけないと、その夜寝られなかった。今出来ることはないかと考え、またこの件が切りつけばユナイテッド航空に苦情を言おうと決めていた。
翌朝、同じボランティアの女性が出勤し、すぐ母を見つけて私に電話をくれた。昨夜夜遅く、セキュリティーの人が母を見つけ、幸い暖房の効いた別室に母を連れてくれたようだった。母も横になって寝る事が出来、サブウェイでバナナを食べ、何とか夜を明かしたようで、少し元気な声を聞かせてくれた。ボランティアのその女性は自分の家から痛み止めの薬を持参し、母にあげてくれた。彼女曰く、規則違反だけど昨日の夜あなたのお母さんを私の家に連れて行って寝かせてあげればよかった、とまで気遣ってくれた。素晴らしいボランティア女性がシカゴにいた。彼女がいなければどうなっていたことか、想像すると恐ろしくなる。
代替便である、一日遅れの同じ便である成田行きは昼過ぎ発なので、それまでの間、日本円を両替し、売店で朝食などを買うのに同じ女性が手伝ってくれたようだ。そして搭乗前にくれた電話で、母がこの人に英語で御礼をしたいというので、私はI'll never forget you.(あなたのことを決して忘れません)と言うといいよ、と伝えると、母はI never get you for you.(あなたのことは決して理解しない)と間違って伝え、ボランティアは笑っていた。もちろん私は真意を伝え、彼女の連絡先を聞き、お礼の品を送ると言って電話を切った。次回に続く。