自然に囲まれたNY北部に住む日本人が、現地の習慣や価値観等、日本とのあらゆる違いを紹介します。アメリカ留学、移住、旅行等、アメリカに興味のある人向けです。

アメリカ飛行機欠航の話 その5

前回の続き。無事離陸した代替便は全席満席で、約12時間母は膝と腰の痛みに耐え成田に着いた。そして乗換えで成田から伊丹行きに乗ったが、母の経緯を知ってか知らずか、ANAはエコノミーからファーストクラス(かどうか分からないが母はそう言っている)の一番前の席に代えてくれた。
わずか1時間のフライトであったが、母曰く日本とアメリカの待遇は、天国と地獄くらいの差だったと言う。伊丹空港に着いてからも、歓迎!と書いた紙を持って母を待っていた ANAの数人の係員が、バス停で見送るまで車椅子の母に付き添い、介助してくれたと言う。
絵に描いたほどの日米航空会社のサービスの差を体験した母であった。以降母は飛行機を怖がり、足腰が余計弱くなった気がする。
シカゴで車椅子が必要と事前連絡していた女性を優先にアシストしなかった点や、欠航後食事の提供含めユナイテッド航空による母への介助は一切なかった点などとともに、一連の内容の苦情を、ユナイテッド航空とANAに同時に英語でメールした。ANAは数日後すぐ、謝罪文とともに母のマイレージに5000マイル追加してくれたが、ユナイテッドは約3ヶ月後になって電話がかかり、マネージャーレベルの者から謝罪とともに、400ドルのユナイテッド商品券を送ると打診してきた。私はさらに交渉して、500ドルのユナイテッド商品券と、総額旅行代金の10%割引券と、機内での有料ドリンク無料券を送らせることで話がまとまった(母が以降アメリカ旅行を恐れているので、当初私の家族4人分の日本行き往復航空券と引き換えだと主張したが)。
こういう結果で決着が付いたケースはまれで、おそらく同じ欠航便に遭った他の乗客の中には、泣き寝入りした人もいたかもしれない。今回の母のケースほどでないにしても、アメリカでの飛行機利用時は、経験上これに似たケースが起きやすいため、私は毎回祈るような気持ちで搭乗するのである。
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アメリカ飛行機欠航の話 その4

前回の続き。当時78歳の膝が弱い母にこれはひどすぎる仕打ちで、わざわざアメリカまで単身会いに来てくれただけに、また私がすぐシカゴへ行って助けることも物理的に出来ず、本当に歯がゆかった。今頃寒いアメリカの空港の椅子に座り、一人で不安な中、夜を明かそうとしている母を思うと不憫で腹の煮えくり返る思いになり、夜11時を回っていたが、さらに色々調べた。
オヘア空港のセキュリティに電話し、高齢で英語が話せず、膝を痛がっている母が空港にいる。毛布の提供や、食事面のアシストなど、様子を見てきてくれないかとだめもとで依頼した。OK、とだけ男性の声の主は言って電話を切った。私は何かあったらいけないと、その夜寝られなかった。今出来ることはないかと考え、またこの件が切りつけばユナイテッド航空に苦情を言おうと決めていた。
翌朝、同じボランティアの女性が出勤し、すぐ母を見つけて私に電話をくれた。昨夜夜遅く、セキュリティーの人が母を見つけ、幸い暖房の効いた別室に母を連れてくれたようだった。母も横になって寝る事が出来、サブウェイでバナナを食べ、何とか夜を明かしたようで、少し元気な声を聞かせてくれた。ボランティアのその女性は自分の家から痛み止めの薬を持参し、母にあげてくれた。彼女曰く、規則違反だけど昨日の夜あなたのお母さんを私の家に連れて行って寝かせてあげればよかった、とまで気遣ってくれた。素晴らしいボランティア女性がシカゴにいた。彼女がいなければどうなっていたことか、想像すると恐ろしくなる。
代替便である、一日遅れの同じ便である成田行きは昼過ぎ発なので、それまでの間、日本円を両替し、売店で朝食などを買うのに同じ女性が手伝ってくれたようだ。そして搭乗前にくれた電話で、母がこの人に英語で御礼をしたいというので、私はI'll never forget you.(あなたのことを決して忘れません)と言うといいよ、と伝えると、母はI never get you for you.(あなたのことは決して理解しない)と間違って伝え、ボランティアは笑っていた。もちろん私は真意を伝え、彼女の連絡先を聞き、お礼の品を送ると言って電話を切った。次回に続く。

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アメリカ飛行機欠航の話 その3

前回の続き。そうこうしていると、係員から、翌日の成田行きに一席だけキャンセルによる空きが出たので乗るかと言われたので、母に伝えるとそれでいいとなり、最終手段である空港で一晩明かすことになったのである。
思えば朝九時頃見送ってから、母は食事を何も食べさせてもらえていない。さらに春先で、夜はかなり冷える。空港ロビーの待合室で寝るよう連れて行ってもらえたが、すぐさま別の係員が来て子供が優先だ、と母は追い出されてしまった。結果何と、写真のような外の寒い椅子に座って夜を明かせ、と言ってきたのだ。
私はキレて、ボランティアの電話越しから、食事も寝場所も、毛布一枚すら提供しないとは何事だ、を英語で係員にまくし立てた。12時間以上何も口にしておらず、足腰が弱く旅行前から車椅子での介助を依頼していたのに、この対応は最悪だ、いい加減にしろと怒鳴り今すぐ改善するよう伝えた。すると、毛布一枚と、空港内のレストランで使える10ドルの食事券をくれた。
ここで夜10時を過ぎており、ずっと母のそばにいてくれたボランティア女性が帰ることになった。最後の母との電話で、日本語でいいから食事券を見せて、近くのサブウェイでサンドウィッチや果物など買うようにと、またボランティアから教えてもらった明日乗る予定の飛行機の段取りの説明と、係員にいろいろ改善要求したことを告げ、電話を切った。足が相当痛くなっていた母は、飛行機に乗って墜落しなかっただけよかった、明日の飛行機の席取れてよかった、亡くなったお父さんが見守ってくれた、と泣きながら話してきた。非常に心が痛んだ。次回に続く。

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アメリカ飛行機欠航の話 その2

前回の続き。シカゴのオヘア空港のサイトをさらに調べると、一般人のボランティアによる、乗客の補助やアシストをしている詰め所の電話番号が分かったので、すぐに電話し状況を説明し、母親の介助を依頼した。
昼過ぎのフライトから、夜になってようやく、ボランティアの人の携帯電話から私の携帯に連絡が入り、母と話が出来た。苛立ちと不安と疲れで、か細い声の母と話が出来た。ごった返す中、黒人男性が母のところに来て、帰りの搭乗券を持っていかれた、もうどうしていいか分からない、と疲労と不安で泣いていた。
そしてボランティアからの話を母に日本語で伝えた。フライトは欠航になり、代替便を手配してくれるよう、他の乗客らのようにフロントデスクで手続きをするために順番待ちせねばならない状況だった。その黒人は係員のはずで、変更手続きをしてくれているはずだ、と伝えた。ボランティアのアメリカ女性もそう思うと言っていた。ここで夜の8時を過ぎていた。
しかしその後ボランティアが私にくれた電話では、その前にまず手荷物をいったん受け取り、再度手荷物検査を行ってから、代替便手続きの順番待ちせねばならないことになった。この時点でようやく車椅子を一台見つけてくれて、母は手荷物検査場へとボランティアと移動したが、ここでお土産用の食物を全て没収されてしまった。そして非常に落ち込んだまま、ようやくユナイテッドの係員と話が出来たようだが、今から日本に行ける便は何とシカゴから南部のテキサスダラス空港に行き、ニューヨークのJFK空港に行き、そして日本に帰る便ならあると言われる。
ここで私はボランティアの電話越しに、そんな無茶苦茶なフライトに乗れるかと、他の便かいったん私のいる都市まで戻れるよう変更依頼したがそのような便はもうなく、さらにシカゴ空港周辺のホテルは全て満室と言われ、空港からかなり離れたホテルは取ってもいいが、荷物を全部膝の弱い母一人で持ち、タクシーに乗りホテルのチェックイン/アウトなどするのは不憫で、英語が出来ない母もそれは出来ないと言って来た。私がシカゴに今から行くにも時間が遅すぎ、夜の9時を回っていた。次回に続く。

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アメリカ飛行機欠航の話 その1

アメリカの航空会社を利用してきて、今まで度々飛行機の延着、欠航、座席がない等のトラブルを経験してきた。日本国内での飛行機利用と比べ、トラブルの頻度はアメリカのほうが多い気がする。
例えば私に会いに来てくれた日本にいる母親の話を挙げてみる。日本から私の住むニューヨーク北部まで、乗り継ぎ含め片道約24時間かかる。それだけでも特に単身旅行の高齢者には大変であるが、それはシカゴのオヘア空港で起こった。帰りのシカゴ発成田行きの飛行機に母親が搭乗したものの、滑走路をぐるぐる回って一向に離陸しない。そして停止し3時間近く機内で待機させられ、結局シカゴ空港の搭乗ゲートに戻されたのだ。
ここからが熾烈極まる。戻された乗客数百人がごった返す中、英語が全く解せず、何が起こっていてどこへ何をすべきか全く分からなく、母はそこからさらに数時間も何も出来ない状態に陥った。回りの乗客も係員も多忙を極め、膝が弱い母親には誰も対応しない。インターネットにてリアルタイムで飛行機の追跡が出来るサイトで、母の乗っている飛行機がおかしいと気づいた私は、即座にシカゴ空港に電話を試みた。しかし繋がるのは総合案内やセキュリティーなど、母の所在と安否が確認できる番号ではなかった。
さらに、日本に帰るだけなのでもうアメリカのお金は要らないだろうと、見送る際にアメリカドルを全部私が譲り受けたため、携帯電話を持たない母は私に電話するお金もなかったのである。次回に続く。
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Craigslist(クレイグスリスト)

アメリカにも、Craigslist(クレイグスリスト)というウェブサイトがある。これは、個人間による物の売買、仕事、サービスの紹介、出会いの場提供、同じ趣味などのコミュニティー紹介など、ありとあらゆる情報を提供しているサイトである。各州別、かつその都市別に情報が分類されていて、自分の住んでいる都市にいる情報のみをカテゴリ別で見ることも出来る。
アメリカに移住し始めた頃、このサイトは大いに役立った。アメリカにスーツケース1つで越してきて、衣食住に関わる色々なものを格安で一気に入手できた。越してきてすぐ必要となった、衣類や雑貨、食器、寝具、アパートなどの物件探し、中古車探しがこのサイト1つで行え、基本個人売買なので店に行くよりずいぶん安く買えた。中には来週引っ越すのでソファーを無料であげますから取りに来てください、などと告知している人が近所に住んでいるのを発見できたりする。
このCraigslistで、ベッドや食器類、家電機器、中古車、仕事、雑貨など様々な物やサービスや気の合う仲間を格安又は無料で入手できたし、私も不要な物ができればこのサイトに書き込む。
掲示は無料で、たいてい近場に住む誰かが電話をかけてきて、まだあるなら欲しいのだが、と連絡してくる。アメリカに住み始めた時や、引っ越す時など、中古でも良いから格安で入手したい時や、早急に処分したい時など、大いに役立ってくれるはずだ。
http://www.craigslist.org/about/sites

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