私が日本を出た理由
思うに、そうさせるのは当事者ではなく、マスコミや国民感情によるのかもしれない。国民がそれを望んでおり、言葉だけでなくそれをしなければ感情が収まらない人々が多いからではないだろうか。
さらに、悪い事をした人が深々と頭を下げても、その後もその会社、同業種、同職業に何となく嫌悪感を抱かれ、以降もマスコミによってパパラッチ並みにマークされる。そして何か犯罪を犯したのではなく、単なる漢字の読み間違いや言い間違いのレベルでもマスコミは待ってましたとばかり当事者らを叩きのめす。国民も大半が同感し、それで辞職などの制裁をせねばならぬ悪循環に陥っている気がしてならない。犯罪を犯したわけではないが、国民感情を勘定し辞職等した有能な日本の事業者、政治家等もたくさんいると思う。
そうすると言葉を非常に注意深く選んで使わねばならず、常に揚げ足を取ろうと注視される中では、もう話もろくに出来なく、仕事にならぬ場合が出てくる。悪意、悪気があって言い間違いする訳ではないだろうから、本当に気の毒である。私が日本を出たのは、こうした日本のあらゆるものへの超が付く程の潔癖主義に、居心地よさを感じられなくなったのも理由の大きな一つである。