自然に囲まれたNY北部に住む日本人が、現地の習慣や価値観等、日本とのあらゆる違いを紹介します。アメリカ留学、移住、旅行等、アメリカに興味のある人向けです。

隣人との対抗意識 その2

前回の続き。多くのアメリカの家では、庭が広いため、いろいろとユニークな方法で庭造りをする人が多い。私の両向かい、両隣もそういう人々なので、私も時間があればよりよい庭造りのため何かをしている。
隣の芝生は青い、で、こちらも何かしなくては、という気にさせられる。家族や友人、親族などは、よく庭で何かをしている私に、この家がとても好きなのね、等と言ってくれるが、自分のためなのか隣人たちに後れを取らないためなのか、一生懸命庭造りや庭仕事をしている真の目的が分からなくなる瞬間もある。
幸い隣人たちとはよく話すので、互いの庭を見せあったり次に考えている庭のプロジェクトを教えあったりしているが、そこでも変な対抗意識が出る。新しくて高い日曜大工用器具を隣人が買ったのを知ったり、発想もなかった庭のリメイクを知ると、笑顔で賞賛するものの、心では「くっそー、こっちも何かかっこいいアイデアはないものか」と、ある種嫉妬や競争心に更に火がつく。だが彼らの多くは退職者であったり、夫婦でガーデニングを愛でていたり、庭にかける物理的時間が違う。
さらにいいアイデアばかりそうそう思いつくわけではないので、Pinterestなどのウェブサイトを見て、全米の人々の庭のMakeover(改造、作り変え)のアイデアを参照したりする。やはりアメリカ人と日本人ではその発想やアイデアの方向が違うなあ、等と変に感心してしまうほど、彼らの庭造りのアイデアは彼らなりの価値観でユニークである。
これもいい、あれもいいと、いろいろなアイデアを自分の庭でやってみたいと調子に乗ると、金が大量にかかるだけでなく、統一感なくごちゃごちゃし、結局落ち着けない庭にもなりかねない。時間と金に相談して、主体である自分とその家族がくつろげる空間を作れたらそれでいいではないか、とある程度納得させ、過度に隣人たちより張り合おうという気をなくさないといけないと思う。広い芝生を手入れするだけでも十分美しいし、仕事や他の用事の合間を縫って、張り合うようにあれこれと次々に庭のMakeoverを考え実行するのは、疲れてきたのが本音である。

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隣人との対抗意識 その1

アメリカの家に住んでいると、変な対抗意識を感じることがある。アメリカで家を持つと、たいていは大きな庭がある。隣人たちも同じく大きな庭があり、彼らの庭とこちらの庭とで、どちらが美しいか、どちらがより手入れをしたり、よりユニークな庭造りをしているかなど、比べたくなる。
私が住むエリアの場合、家の前、後ろに、25mプールが何個も入るようなスペースを持つ庭を持つ家がたくさんある。そして思い思いに庭を綺麗にアレンジしている。ただ芝生が広がるだけの庭も美しいが、たいていはそれぞれにアレンジをしている。
例えば、木の根元や家の周りなどに花壇を植えたり、木や枝で作った高いゲートを作ったり、キャンプファイヤー用の焚き火スペースを作ったり、水が自動で流れ続ける滝や小川や池や風車を作ったり、ビニールハウスを作ったり、夜になると脇に電気が付く歩道を作ったり、フェアリーハウス(妖精の家)を作ったり、様々かつ大量の野菜や花を植えたり、巨大なプールやジャグジーを作ったり、テントやプライベートでくつろげるテラスデッキを造ったり、庭にTVを置いて見れるよう電気工事をしたり、数トンのロールを使って庭の凹凸を平らにしたり、砂利を敷いてアクセントをつけたり、公園顔負けのたくさんの遊具を置いたり、バーベキュースタンドを作ったり、ハンモックを置いたり、サウナ専用、カラオケバー専用の離れ小屋や第二第三のShed(ガレージ)を作ったり、子供用にバスケットボールやサッカーのゴールや、器械体操用のあん馬や平均台、平行棒や吊り輪を置いたり、スケートボード用のRamp(ハープパイプ)を置いたりと、庭の広さを利用して自由でより楽しい空間作りに精を出す家が多い。その2へ続く。

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日本語レッスンで意識していること

日本語をアメリカ人に教えていていて、ユーモアセンスが必要だな、とよく思う。日本での学校でよくある授業のように、教師が詰め込み教え続け、生徒は黙ったままのような、一方的な授業はあまり通用しない。
経験上、彼らは少しでも気になった箇所は私の話をさえぎって聞いてくる。そこでもし、きちんと理にかなう説明をしないと、こいつはだめだ、とそれ以降の彼らのやる気が失せてくる。そして一方的にテキストの内容を詰め込むのではなく、時折世間話やジョークなどで和ませ、日本関連の私の経験談などを取り入れると、たいてい上手くいく。
どちらかというと、アメリカ人は短距離走者のようで、集中する時はかなりするが、日本人ほどそれほど続かないようで、息抜き、ガス抜きの意味でリフレッシュさせてあげると授業に大変弾みが付く。そこで手っ取り早いのが笑いである。
これはアメリカ人の仕事でも大体当てはまるが、ガガガッと集中して、少し息抜きする。この繰り返しを無意識に彼らは望んでいるように感じる。笑いを取る、ユーモアセンスというけれど、それは普通の日本人には簡単にはできない。アメリカ流の話術の上達が必要で、アメリカのトークショーやコメディー番組をよく見て、どういう風に笑わせているのかまねたり、緩急をつけた授業展開を積む経験が必要だ。
例えば、生徒の一人が日本旅行をしてきた際、トイレの便器の多くがTOTOと書いてあって驚いた、とリフレッシュをしたそうに授業内容に逸れた話をしてきた際は、少し付き合ってあげる。ああ、そうですね、と単に相槌を打つのも悪くないが、しばらくロックバンドがトイレ便器を作っていると思っていた、などどジョークを言うと、ハハハハハ、と笑ってくる。愛想笑いでなく、面白いと笑わせる事ができれば、こちらの勝ちである。
例え世間話が長引いて今日の授業でやりたかったことが出来なくなり、予定が狂ったとしても、私的にはそれでもいい。笑わせた後の残りの授業は、生徒の理解力が高まる。そしてスムーズに進む。日本語教師であると同時に、コメディアンのようにどうやって笑わせてやろう、といつもタイミングをうかがっている自分もいる。

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私が行う日本語レッスン

私はアメリカで日本語も教えている。もともと人に何かを教える事が好きであったこと、以前日本語教師の資格を取ったこと、また仕事と家の往復だけでなく、地域と繋がりを感じられる何かをしたい、と考えていたので、小さな田舎町であるが日本語を教えている。
まず驚くのは、田舎町でも日本に興味を持つ人が思いのほか多いということだ。生徒の動機は様々だが、例えば日本のアニメとビジュアル系音楽に傾倒していて、それら日本語の意味をもっと知りたいと言う高校生や、一度日本旅行をして感動し、毎年日本旅行するために日本語を習いに来る定年退職した老夫婦や、大学で日本語のクラスを受講しているが、夏季休暇の時のみ予習のため習いに来る大学生や、近々家族で日本旅行をするので、事前に知っておくべき事柄や文化歴史などを直接日本人から知っておきたいと言う人々、日本に出張が決まったのでビジネス用日本語を教えて欲しいと言うビジネスマンなど、こんな田舎でも結構いるものだ、と驚かさせる。
普段の会社員としての仕事が終われば、すぐ日本語を教えに行く。仕事後家に直帰し、のんびり出来ればいいだろうが、日本語を教えた後は大抵気分が爽快で、一日の充実感を得られる。地域の人々に日本語を通して微力ながらも貢献している、という感覚はなかなかよい。自分にもう一つの顔があるようで、気分のメリハリもつく。そして日本旅行から帰ってきた老夫婦が、トラブルもなく、あなたのおかげでいろんな日本人と会話できました、ありがとう、と言われたときは大変嬉しい。大学の来期授業用にたくさん予習を手伝ってあげた生徒から、成績はAを取れた、ありがとうと連絡をもらえた時は嬉しい。そして教えた事柄を使用して、少しずつでも日本語のみで会話をし、私との会話のラリーが結構出来るようになってきたと感じる時はオォーと感心し、その上達に嬉しくなる。
アメリカ人相手に日本語を教えるのは楽しい。彼らの上達を自分のことのように思えるし、また何かについて2時間以上話せるものなら、それを一生の仕事とすべし、と誰かが言っていたのを思い出す。日本の言語、文化、習慣、歴史、価値観という超莫大な内容なので、2時間などノートなどなくても楽勝に話せる(また彼らは気になる事はその場で何でも聞いてくる質問魔なので、時間配分を考えないとすぐ終わりの時間になる)。そういうわけで、日本語教師をこれからも趣味に近い感覚でやっていければ、と思う。

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日本語で訳しづらいが普通に使っている英単語

アメリカで長い間暮らしていても、この英語は日本語で何と言うか、明確でないまま使っている英語はある。例えばUpsetである。探し物が見つからない時、悲しい時、時間がない時など、アメリカ人は様々な場面でUpsetを用いる。Let it be、Dudeなどもその類だ。
たいていはこの英単語は日本語で言うとこれこれ、とイコールですぐ言い換えられるが、Upsetのようにすぐ日本語で出てこない時もある。要するに感覚でその英語を覚えてしまったのである。
新しい英単語や表現を、その都度イコールになる日本語を結びつけて覚えるとよいのだろうが、Upsetのようにかなり幅広く使われ、たった一語で相当する日本語がなかなか思いつかない場合、その英語の感覚やイメージだけで覚えるので、英語では適切な状況でその単語を用いられるが、日本語で言うと何と言うべきかつっかえてしまうのである。
逆にお疲れさまです、やよろしくお願いします、拝啓、敬具、ご健勝など、ある日本語を英語で言う時にスッと出てこない場合もある(この場合は日本独特の言い回しで、いちいち訳さず、英語でその意味を言う必要もなく、日本語で話す時だけ言えばいいのだ、と自分なりに解決して過ごし、何の問題も起こっていない)。
言語というからにはそういう類の両言語で明確にイコール化して理解していないものも、今すぐ思いつかないだけで他に多数あるはずだが、私は通訳や翻訳の仕事をしている訳ではないし、アメリカで普通に暮らせているから、これでいいのだ、と思うように割り切っている。日々の生活でふと今自分が使った英語を、日本語で言うとどうなるか考えた時に、もしふさわしい日本語が出なく、さらに時間がある時にだけ、私よりさらにペラペラのバイリンガルに聞くか、インターネットなどで調べて、ようやく英語日本語でイコールで紐付けられ、一つ解決していくことになると思う。数が膨大であるから、全てを網羅するのは無理と決め込んで、あまり神経質にならず今日一つでも紐付けが出来れば儲けもの、という気楽なスタンスでいることにしている。

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黒人弁

日本語に関西弁、東北弁などがあるように、アメリカでもテキサス英語、南部なまり、ボストン英語等があると言われるが、それに追加で私がしばしば思うのは、黒人の使う英語もそれらによく似た独特の発音がある。
個人的に黒人の英語は、ラップを歌うかのようによりリズミカルで、より簡単に楽に言おうとするような印象がある。例えばYou are not-.をYou ain't-.と言ったり、Tell themをTell 'emと言ったり、How are you doing?をHow you doin'? と言う等、省略したり簡略したり、スラングをよく用いたりする。それは白人が話す英語よりも多い気がする。そのため日本で習った学校英語ではほとんど出てこず、英語であるけれども初めて聞く独特の言い回しに、何を言っているのか理解するのが難しい時がある。別に彼らが特別難しい内容を言っているからではなく、慣れていない(経験不足)からによるところが大きい。
それはアメリカに住んで結構経つ今でもそうで、時々聞きなおす時すらある。私自身、黒人の友人や仕事の同僚が少ないので、聞いて対応する機会がそれほどないからかもしれないが、自分の中で英語とは、ほぼ全てが白人である妻や親族、近所や仕事の同僚たちが使ういわゆる白人英語であって、それらは頭の中でスムーズに処理できるが、いわゆる黒人英語は頭の中でまるで別言語のように処理され、端々で出てくる意味不明な発音や言葉は、処理不能として別途労力がいる意味補完作業をするか、聞きなおす必要が出てくる。頭の中ではそんなイメージである。職場にはインド人もいくらかいるが、彼らの英語もよく似た印象で、理解に時間がかかる。
逆を言えば、私の日本語混じりの英語も、アメリカ人からすれば聞き取りにくい英語だと思われていることだろう。ペラペラと言う域に達するには、さらにあらゆるタイプの英語を聞くという場数を踏むしかないのかもな、とふと思うのであった。

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