自然に囲まれたNY北部に住む日本人が、現地の習慣や価値観等、日本とのあらゆる違いを紹介します。アメリカ留学、移住、旅行等、アメリカに興味のある人向けです。

議論でアメリカ人に勝つ その2

前回の続き。そこで感情的になれば最悪で、KO負けだけでなく人格さえ疑われるほどの烙印を押されかねない。そうならないように、会心の一撃となる決定打を与えない限りは、引き下がらない。だめなものはだめ、とか考えておく、などどお茶を濁しても、TKO負けに似た烙印を押されかねない。しかし揺るがない理由の決定打を浴びせば、たいてい妻や彼らはその後ドライに理解してくれるが。
スポーツでも仕事でも言論でも、相手と戦って勝つということに彼らは何のためらいもないわけで、ある程度の日本人が和を持って尊しと思うように、そんなのはしたないとか、大の大人が、などと波風立てない協調関係を望む日本人とは、根本的に彼らの考え方が違う。
アメリカの学校では、社会や政治などの時間で、議論(弁論)がしばしば行われる。それはまるで検察と弁護士の戦いのようで、死刑、中絶、銃規制、学校にプールを作るべきか、制服か私服か、どんな昼食が適切かなどなど、様々なテーマについて議論し、過去の事例や、重要な根拠となる説明をしたり、反論を反論で返したり、あらゆる視点で議論に勝とうと練習するという。そうして議論に勝つための判断力、発想力、話術なども長けてくる。
そんな議論のベテランであるアメリカ人の妻と言い合いになると、痛いところを的確に突いてくる様な論法で攻めてくるので、妻よりきっとベテランでない私は鬱陶しさを感じ、たいてい議論に負ける。負けてやらねば、その後一日の妻の気分が劇的に悪くなるので負けてやったのだと捨て台詞を吐くのだが、勝者の妻は涼しい顔をするものだ。議論に負けた(負けてやった)後はいつも、ああ日本人はつらいよというような気持ちになり、根本的に協調的日本人気質を持っている私のおかげで夫婦仲はうまく回っているのだ、と自分を自分で慰め、タバコを吸いに外に出かけることが多い。