自然に囲まれたNY北部に住む日本人が、現地の習慣や価値観等、日本とのあらゆる違いを紹介します。アメリカ留学、移住、旅行等、アメリカに興味のある人向けです。

フェスティバルだらけの週末生活

日本に住んでいた頃は、祭りと言えば春の桜祭りと、盆の花火大会くらいであった。他にもあるにはあったが、ほぼその2つだけであり、他は特にこれといって祭りやイベントはなかった。だが私が住むNY北部では、春から秋にかけてほぼ毎週のようにフェスティバルやイベントが周辺地域で開催される。桜祭りはないが、屋台が出展する花火大会はいくつもある。他にどんなものが開催されているか、簡単に書いてみる。
フェスティバルは、各市町村が独立して様々なものが開催される。多くがそのエリアの目抜き通りを閉鎖し、歩行者天国にし、道両側に様々な種類の屋台や地域の会社団体、ボランティアなどのブース、音楽ライブなどで埋め尽くされるフェスティバルが多い。
フェスティバルの名前はいろいろだが形態は大体同じで、腹が減ったので単に出店でピザを食べる、だけではなく、ユニークな食材を売る屋台、ラジオ局、私立学校、ダンススクール、ボーイスカウト、射撃場、家庭用太陽光発電パネルなど、地域で活動している小規模ビジネスのブース、手作りのユニークな雑貨や絵画、工芸品や化粧品などを売る個人ビジネスのブース、子供向けのバウンスハウスやフェイスペインティングやマジックショー、風船を曲げて動物にしてくれるサービス、地域で活動するボランティアの紹介ブースなどがある多種多様のフェスティバルで、たいてい多くの人で賑わう。この種のフェスティバルが週一のペースで、車で行ける距離のどこかで行われている。入場料は多くが無料だ。
他には、学校キャンパスを開放し、数百もの科学実験ブースを作り、学生や教授たちが披露し市民に親しんでもらう地元の科学系大学が行う祭りや、花を何百万株も植えている大きな公園一帯で開かれるフェスティバル、メモリアルデーや独立記念日、Labor Day、クリスマス前に行われるパレードや、プロミュージシャンが相当数参加し至る所でジャズ演奏が行われるジャズフェスティバル、5キロの市民マラソン大会、海賊フェスティバル、トルコフェスティバルやウクライナフェスティバルなど、主にその国由来の教会が主催するもの、消防署のイベント、気球レース、戦闘機アクロバットショー、コンサート、車に乗ったまま映画を見るドライブインシアター、移動式遊園地のカーニバルなどが、各市町村でそれぞれ開催される。
地域有志が作ってくれる5月から9月までの年間フェスティバル/イベント表には、68ものそういうイベントが掲載されていた。至る所でフェスティバルが行われるのは、おそらく、周辺各市町村の人口が少ないので、小規模のフェスティバルが比較的簡単に開催できるからかもしれない。
だが興味深いのは、その催行者側も多くがボランティアや地域住民であり、箱物でお客様として受身一辺倒ではなく、送り手受け手双方が参加した、ほのぼのと楽しむような節があるので、フェスティバルに遠出してものんびりとした週末を過ごせる気分になる。

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ターミネーター集団が走る夏

私が住むNY北部は、気候は北海道に大体近い。冬はしばしば吹雪が起こり、積雪量もかなりある。だが春から秋にかけて、暖かくなると、短い夏を楽しもうとある人々が登場する。ライダー集団である。
ナンバープレートを見る限りNY州なので、近隣に住んでいる人々だと思うが、たいてい5人から10人程度のバイク集団で道を走るのを、夏の特に週末に頻繁に見かける。
NY北部は日本と違い、滝のような汗をかくことは滅多になく、暑い日でも割りと過ごしやすい。そして森林が多く、どこまでもまっすぐ続くような道が多く、ドライブは気持ちがいい。田舎なので道も空いていて、平日のラッシュアワーを除けば渋滞はない。Interstateである、大陸横断の高速を除き、全てのハイウェイは無料だ。ライダーたちには走りやすい地域だと思う。
そして彼らのいでたちは、ほぼ共通して黒尽くめの服である。皮のジャンパーやベスト、皮のズボンとサングラスで、ターミネーターがバイクに乗っているような連中が10人程度隊列をなしてドライブしている感じである。またほぼ全てがアメリカンバイクであり、ドドドドッと低音の聞いたエンジン音を撒き散らしながら走る。映画イージーライダーの曲の、Born to be wildが彼らのテーマ曲のような気さえする。
皆で純粋にドライブを楽しむためか、猛スピードは出さず、トラックのように他の車を先に譲ってくれやすい。年齢は大体が中年で、10代、20歳代の人はあまり見かけない。多くが40,50代の男性で、プロレスラーのようなイカツイ風貌に、髭を伸ばしている。二人乗りをしているのはたいていその妻か恋人のようで、彼女たちもまたターミネーターの女性版のような恐々しい雰囲気を醸し出していることもある。
彼らが昼飯などでレストランに立ち寄った際、当然駐車場にもアメリカンバイクが10台ほど駐車され大変目立ち、店内でも黒尽くめのレスラーのような連中が数テーブルを占拠するのですぐ分かる。だが彼らはそういう服を着てそういうバイクに乗って、純粋にそういう時間を楽しんでいるのであって、周りに迷惑をかけるのを楽しむような輩ではない。彼らの運転や店内での態度を見ているとかなり紳士である。

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「他の人に見られると恥ずかしいからやめなさい」

アメリカは特に人種のるつぼであるので、様々な人が様々な考え方を持つ。そして十人十色の社会で生きていくと、考え方の相違、価値観の相違というのは日本でいるよりも起きやすいのかもしれない。そのため、自分の意見や考え方をしっかり言う、という自分という主観的な発想が身についていく。これは日本に住んでいた時と異なる考え方であった。
日本ではいかに他人と合わせるか、他者からはみ出さず協調するか、という価値観であったが、アメリカに住むとそういう優先順位はかなり下がり、どれだけ自分の意見をしっかり言えるか、自分はどうしたいのか、どうありたいのか、というまず自分ありきの発想がまず来る。
この両方の価値観を備えた上で、偶然に日本人の母親が子供を叱る時に「他の人に見られると恥ずかしいからやめなさい!」などど言っているのを聞くと、違和感を感じる。自分という主観はさておき、まず他人にどう見られるか、周りからはみ出さないよう、恥ずかしさを感じないようにする事を高い優先順位に挙げているようにさえ感じる。穿った見方をすれば人に見られなかったら陰でやってもまあよし、とも取れなくもない。
他人からどう思われるか(実際他人はこちらのことなどそれほど気にしないと思うが)、周りから逸しない言動行動、そういうものさしを第一義で使うと、自分という主観はあまり育たない。周りからはみ出さなければそれでよし、という個をそれほど尊重されないようで、アメリカに住むとそこに違和感を感じる時がある。
そのせいか、日本での学生時代、周りにいた帰国子女のその正々堂々した落ち着いた態度というか、どこか芯が通ったようなところに、いい意味で違和感を感じたものだ。恐らく、海外生活で苦労を経験しただけでなく、現地人のように主体の対象を他人から自分自身によりシフトできたからかもしれない。いずれにしろ自分にとってよい方、行きたいと思うほうに舵を取り、取捨選択していけば、将来的により人間的に幅のある大人になれるのかもしれないと、昔居酒屋で友に語っていたのが懐かしい。

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海外で現地の友人を作る方法

アメリカに限らず、海外に住んで現地の友人を作りたい。渡米当初は特にそう思った。だがなかなかアメリカでアメリカ人の友人ができない。バーに繰り出すのもいいが、客はたいてい仲間と飲むために来ていて、下手くそな英語ではなおさら、いきなり友人になれるのは難しい。友人探しなのか恋人探しなのか線引きが難しい場合もある。
隣近所の人と仲良くなるのは手っ取り早いが、全員がそう友好的とも限らないし、仕事や何かで一日中家を空けていて話す機会がそうなかったり、年が離れすぎたり、共通の趣味や話題も合うとは限らない。ましてやアメリカに来て日本人同士ばかりでつるんでいては、留学の場合何しに来ているのか本末転倒になるし、海外在住の醍醐味など味わえない。
いろいろ試行錯誤した挙句、効果的だったのはボランティアに参加することだった。小学校で教師のアシスタントをしたり、飼い主のいない犬や猫の動物シェルターで動物の世話を手伝ったり、町中の消火栓の掃除をしたり、様々なNGOで食事を作るなど、いろいろある。たくさんある中でどんなボランティア団体に入るか、活動内容や活動時期等にもよるが、集まってボランティア活動をするのはたいてい一週間に一度、少なくとも月に数回はある。例え自分の英語がつたなくても、人々と同じ活動をするということで即座に周りと仲間意識を感じられ、周りも向こうから気さくに話しかけてきて、友好的である。時々彼らとパーティーなどすることもある。
バーや行き当たりばったりの集団でなく、同じ目的を持つボランティア団体にいれば、何かと得ることも多い。ボランティアであるので、基本無給であるが、こちらからの出費もいらない。よそよそしさもなく、皆仲間という意識でいるので、助け合おうと言う共通意識があるため疎外感は生まれにくい。
またそのボランティア活動の内容を軸に、話すネタ、聞くネタはどんどん出てくる。ネイティブの英語を気楽に、タダで受けられ、上達も出来る。そして地域社会に貢献している、というその行為自体、気持ちが清々しい。自分は良い事をしているという充実感を持った生活が過ごせる。余裕があれば、ボランティア活動をいくつかかけ持ちしてみても良い。たいていは英語力はそれほど問われない。何のためにやっているか、つまり地域社会に貢献するというその目的が彼らと同じであり、そこに少しプラスして、友人を作る、語学力を高める、現地生活に馴染む、などが加わっているだけだと思っていれば良い。時間さえ都合がつけば、ボランティア活動も手っ取り早い友人作りの方法になるのである。

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アメリカでボランティア活動をして感じたこと その2

前回の続き。とはいえ自分自身が楽しくなければボランティア活動は続きはしない。近所の友人達は、ボランティアの消防隊に入ったり、海外留学生を受け入れるホストファミリーや、捨てられた動物を一時的に保護する人や、ボーイスカウトのリーダーとして様々な体験をさせてあげる人など、これらを無償で行っている。
この他にもたくさんある中で、まず簡単なものとしてやり始めたのは、雪が積もった際に消火活動がしやすいよう、地域の消火栓全てに積もった雪かきをするボランティアに参加した。これはやってみると何と清々しいことか。防災の役にささやかながらも貢献しているという充実感、他のボランティアとともに何かを一生懸命に行うという連帯感を感じられ、また子供も参加させたのでいい勉強になったと思うし、いい運動にもなった。
正直この作業を賃金計算したら、などと金のことを気にしだすと、ボランティアの作業効率低下だけでなく、目的意義すら変わってしまうのでそこはしっかり線引きし、今は営利活動ではなく奉仕活動の時間だ、として心を切り替える。
自分の住む地域のためにいい事をした、という精神的満足感が、その日の午後以降も気分を穏やかにかつ安定させ、生活にある程度の刺激が生まれ、心がポジティブになる。心がリフレッシュされ普段の仕事でのやる気や効率性が向上したり、妻も参加しているので共同で新規に何かをやっている事実、二人で地域に貢献しているという満足感により、家庭内の雰囲気が良くなったり、ちょっとした事でいらいらすることが少なくなったり、生きる目的がもう一つ増えたような気がして次はどこでボランティア活動しようか、と楽しんでいる自分がいたり、他のボランティアの人から頼りにされると、自分の存在意義がまた一つ増え精神的により安定したりする。
副次的に、パレードに自分が参加して歩きたい、という夢も、ボランティア活動をしていることで達成でき、ボランティアがらみでの友人も結構増え、地域と繋がっている感覚は心地がいい。こうしたことが積もり積もって、結果的に人生への幸福度が高まるような気がしてならない。最初は、無償でボランティア活動をしてみようか、と始めたことが、お金を使わずとも自身や家族の幸福度を上げる格好になっているのに気づく。
与えよ、されば道は開かれんとはこういうことか、と感じる瞬間である。

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アメリカでボランティア活動をして感じたこと その1

アメリカではボランティアが盛んだ。これはアメリカ生活での大きな特徴の一つで、私自身かなり評価している。他人の身になって共感し、無償で、時に定期的に手伝う、という行為は、恩恵を受ける受け手だけでなく送り手の方も気持ちがいい。地域に貢献しているという充実感、世代を超えて助けあい繋がっているという連帯感、また自分が求められているという存在意義の感覚は、なかなかいい。
そしてアメリカでは子供が小さいうちから、様々なイベントなどでボランティア活動の機会に触れやすい。堅苦しくなく、人々と助け合うのはよいことだ、という価値観が育まれていく。アメリカの高校生が、アイビーリーグに行きたい場合でも、その勉強したい分野に関連するボランティアをどれだけやったか、また充実した奉仕活動をしたか、というのはある程度判断基準にされると言われる。
ボランティアとして助け合う、という社会貢献活動の土壌が浸透しているので、自分で一から作り始めなくても、また自分の住む地域でもボランティアを募集しているグループや団体、NPOなどを簡単に見つけられる。
金がない時や、仕事や育児などで忙しい場合、ボランティアなどしている所ではない、と考えるのではなくて、仕事をして賃金を貰う経済的インセンティブつまり労働時間とは別に、他者や社会のために何かを貢献したみたいという社会的、道徳的インセンティブを確保することも、生活を本当に豊かにする上で必要であるという考え方である。まず他人に与える行為が回りまわって自分の幸せにも繋がる、というようなイメージで、それは多くの人の格言や宗教の書物等にしばしば登場もする。
年を取るたび今の自分に何が出来るか、と考えた時、地域への奉仕活動が今までなおざりになっていたような気がした。自分のことばかりで、自分のための金儲けや自分の家族のために使う時間、と言うように、地域への貢献活動という意識の優先順位は相当低かった。私は億万長者ではないし、仕事のほか用事ややりたい事はいろいろある。だが何か地域のために無償でボランティア活動するのは、決してマイナスではない。相手だけでなく、こちらにも学ぶことがあると思った。そして何のボランティア活動をし始めたかは、次回に続く。

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