アメリカのカジノでも触れたが、ラスベガスのほか、私が住むニューヨーク北部でもカジノはある。
もし一日休みが出来て、子供の世話などもしなくていいのであれば、私はカジノに行くかもしれない。カジノには、ラスベガスのようにホテルが併設しているところもある。結婚記念日や誕生日などには、私は妻とともにそうしたカジノのホテルで宿泊することが時々ある。周りのアメリカ人宿泊客も、そういう記念日的な日にカジノのホテルに泊まってカジノ三昧を楽しむ人が多い。カジノはたいてい24時間やっている。チェックインだけ済ませてすぐ一階のカジノに出かけるのもいいし、深夜でもカジノはにぎやかにやっている。あまりがつがつしない、優雅で気ままなカジノの雰囲気が好きだ。
広大なスペースに数百台はあるカジノで遊ぶのももちろんよし、エステやジャグジーでのんびりするのもよし、またレストランやバイキングで食事し、そのホテル内で行われる有名歌手のコンサートやコメディアンのショー、ブロードウェーのような娯楽、さらに周辺地域の観光などに参加するのも楽しい。かなり有名な歌手がこうしたカジノのホテルでコンサートをするので、それ目的で訪れる客も多い。 このようにカジノだけでなく様々な時間の過ごし方があり、次にカジノのホテルに泊まる日を楽しみにしているほどだ。
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アメリカでは、コタツはない。当たり前かもしれぬが、今まででアメリカで見たことはない。
理由を考えてみたが、まずアメリカ人の多くは家に帰っても靴を脱がず、寝るかシャワーを浴びるまで部屋の中でそのまま履き続ける人がいるからかもしれない。
次に、部屋の中で基本的に座るのは椅子かソファーのみで、あえて床に座ろうとしないところがあるからかもしれない。
また一言で言えば文化の違い、となるが、コタツのようにコタツの中のみ暖かくするのではなく、アメリカでは床の一角にある穴から温風が出たり、セントラルヒーティングで部屋全体の空気を暖かくするので、コタツのような発想とは少し異なる。
さらに、普段からアメリカで食事をするのは、椅子に座り、足の高いテーブルの上であって、座って食べるちゃぶ台のようなものはあまり一般的でない。
そうした理由から、コタツはアメリカではないのかもしれない。そのため、日本で掘りごたつのある居酒屋などを訪れたアメリカ人の大半は、Cool!と言うようだ。
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アメリカにはパチンコ店はない。代わりに、カジノはある。しかもラスベガスだけでなく、私が住むニューヨーク北部にもいくつもある。他にギャンブルでは、競馬やドッグレースなどもある。
私も時々近くのカジノに行く。普段から老若男女たくさんの人が訪れるが、どちらかといえば高齢者のほうが多い気がする。
カジノではどんなものがあるかというと、ラスベガスにあるようなスロットマシーンや、それによく似た特定の絵柄を狙うものや、ビデオポーカー、ブラックジャック、ビンゴや、ディーラーとテーブル席で行うポーカー、ブラックジャック、ルーレットなど実に様々なものがある。掛け金も、1円に相当する1セントから、5セント、10セント、25セント、1ドルなど、所持金や気分に合わせ自由に遊べる。会員登録すれば、そのメンバーカードを機械に差し込んでから遊ぶと、ポイントがたまり、様々な商品や併設のレストランの割引などに使える。
私が好きなのは、プログレッシブという類のスロットマシーンで、その種類のスロットにかけた人が多ければ多いほど、累積して当たった時の額がどんどん上がっていくもので、大きな効果音と、派手な演出で、カジノの目立つ所にたいてい置いてある。特定のマークが来れば数百万円当たることもある。
またよくあるのが、特定の絵柄が3つ来ればフリーゲームとして、15回や30回お金をかけずとも遊べるのもよくやる。カジノにはたいていスロットマシーンが数百あり、どれで遊ぼうかと遊園地にいるような感覚で、2,3時間はすぐ過ぎる。
腹が減れば併設のバイキング等で食べ、また戻って遊ぶ。あまりがつがつ大金を狙わず、一緒に行く人らとそのカジノの雰囲気を味わうのを楽しみにしているので、その日決めた限度額をすってもああ楽しかった、また来ようとなるのである。
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アメリカ人の仕事術について、思うところを書いてみる。同じ仕事をしても、アメリカ人は目標に到達する、ということにまず多大な焦点が向いている。清掃でも、事務作業でも、建築業でも、製造業でも、会議や商談でも何でも、おおざっぱに言えば合格点に到達すれば終了、というような仕事ぶりだ。つまり日本人の仕事のように、完璧主義ではない。
清掃が仕事ならば、きれいにする、という目標に到達すれば終わりで、さらに塵ひとつない完璧な状態まではしない。合格点である60点にさえ到達すれば終わりである。日本人はそれは当然で、さらによりよい体裁や見栄えを求めたり、あらゆる起こりうるリスクの可能性を踏まえ、丁寧確実に、求められていることプラスアルファの出来で応えようとするところがある。
必然的に、同じ仕事でも日本の完璧主義だと質の高い結果が出来るが、同時に時間がかかる。アメリカ式の仕事だと、合格点はもらえるだろうがある意味詰めが甘く雑で、日本式より質は低く、また一方で早く仕事が終われやすい。
理想を言えば、質が高く早く終われる仕事がよいだろうが、人により価値観が違うので100%絶対な仕事術はないかもしれない。しかし現実のところ、アメリカ方式だと早く家に帰れる。
アメリカで仕事をしていると、日本式でこなすと個性が出てよいかもしれぬが、同僚のアメリカ人達がそんなアメリカ流仕事のスタイルであるため、私もある程度それに倣うスタイルで仕事をしている。そのため深夜まで仕事をすることなどまずなく、夕方には家に帰り、家族と寝るまでたっぷりと時間を満喫できている。 アメリカにいるから出来ることなのかもしれぬが、アメリカ流仕事術の大きな副次的産物である。
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日本にいるアメリカ人と、アメリカにいる日本人の使用する言語について、思うところを書いてみる。
日本では公用語が日本語だから、外人にも日本語で話すのが当然で、逆にアメリカにいるならば英語で話すのが筋だと思う。
しかし日本では外人にはわざわざ英語で話そうとする人が大変多いように思う。それは英語の勉強にもなり、またはその外人が日本語を話せないから仕方なく英語を話そうとしているのかもしれないが、それと同じことはアメリカでは起こらない。
日本語を話せるアメリカ人は、アメリカでは非常に少なく、当然誰にでも英語で話しかけてくる。一方、外国に行けばその国の言葉を話すという、郷に入りては郷に従えの原則が、日本ではかなりゆるくなっている気がする。原則日本では日本語を堂々と使って頂いて結構と思う。日本に一時帰国する際、外人と話す機会があれば、私は日本語で普通に話しかける。
それで相手が日本語を解せないならば、日本に住んでいるのに日本語を話せない相手に落ち度がある、というのは言いすぎだが、当初アメリカで住み始めた私は、アメリカ人が日本語が分かればどんなにありがたいか、と昔よく思っものの、日本語で助けてくれたアメリカ人はほぼ皆無であった。英語が公用語のアメリカで、なぜ日本語で話してやらねばならないのか、というほどに、英語を話せない者への仕打ちは大変冷たく、アメリカで生きていくには英語習得が不可欠だ、と身を持って痛感した。
しかしむしろそんな苦労を経験してきたおかげで、結果的に第二言語を使いこなせその文化習慣も体当たりで会得できたと思う。そうした理由から、アメリカでは英語しか話さないアメリカ人同様、日本では日本語しか話さないようにしている。
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